P.I.チャイコフスキー
交響曲第5番


−チャイコフスキーの描いた"運命"

(再生不可) MIDIプラグインを用意してください。

(BGM) チャイコフスキー交響曲第5番 第1楽章
(データ作成者) 大西 賢 様 ( JAA00436@nifty.ne.jp )

データ作成者のご厚意により転載させていただいております。


1888年チャイコフスキーは1ヶ月半ほどの日々をドイツ中西部の保養地アーヘンで過ごしたが、その目的は回復の見込みのない親友の看病であった。連日連夜、病魔にその肉体を食い荒らされ、苦痛に耐えかねては悪態の限りを尽くし、着実に最期の日を目指して崩壊してゆく「親友」。彼から受けた篤い友情に報いるべく、自らかって出た付き添いでは合ったが、目の前の現実はしかし、あまりに凄惨すぎた。項も容赦なく親友を責めさいなみ、今にも幽鬼の界に連れ去ろうとする神の、何たる冷酷さ…。悲嘆と苦悩の涙が湖をも造るか、と思われたそのころ、遂に臨終の時が訪れた。
だが、過ぎてゆく日々が、塗れた頬を少しずつ乾かしてゆくにつれ、神が自分たちに課した運命には別の側面もあることを、チャイコフスキーは気付く。彼と私を巡り合わせ、友愛に満ちた、あの忘れ得ぬ歳月をもたらした「運命」に感謝し、親友を病苦の鎖から解き放ち、天上での永遠の命を授けたもうた神には、改めて祈りの花束を献じよう――。親友の死の悲しみを乗り越えたチャイコフスキーの、こうした運命観、人生観の脱皮は、同じ頃に彼が親しい人々に宛てた手紙の文面から窺える、とのことだ。第5交響曲はこの同じ年の5月から8月にかけて作曲、11月に初演された作品である。


   


(左の切手)


1940年 旧ソヴィエト連邦で発行された
チャイコフスキー生誕100年 記念切手

チャイコフスキー第5交響曲、ホ短調作品64は、作曲者自身が運命のテーマ」だとした旋律を、堅固な額縁のように曲の両端に配置した構造を持つ。全曲の開始でもある第1楽章は、このテーマ低音のクラリネットによって、ゆっくりとしたテンポで吹かれて始まる。チャイコフスキーの感じる「運命」とは静かに、だが微動だにせず立ちはだかる、冷たくも固い壁のようなものなのか。
速くなったテンポに乗って、「運命への抗議のテーマ」が歩き始める。地面を見つめてとぼとぼと歩いているようなこのテーマはしかし、わずかに高潮するだけで、すぐにすがるような「嘆願のテーマ」と交替。そのまま逃避の楽園に安住すると思いきや、にわかに力をみなぎらせては、雄々しくそびえ立ったりもしてみせる。第1楽章はこれら「抗議」「嘆願」「逃避」の各テーマを縦糸とした、勇敢にして繊細な挑戦の音楽なのだ。最後は「抗議のテーマ」がかつてない激しさで荒れ狂い、泥沼のような和音に沈んでこの章は閉じられる。

この泥沼に徐々に光が射し込んで、第2楽章の幕は上がる。ホルンが歌い上げるのは憧れか、孤独か。流れは次第に太くなり、全管弦楽は親密に寄り添いつつ平安の世界を夢見るが、暴風雨のような運命のテーマ」も、実はそこまで迫っている。

一時の憩いを第3楽章に求めよう。もっとも、この優雅な舞踏会もただ楽しいだけでは終わらない。3拍子のワルツに身をやつした運命のテーマ」が、背後から音もなく忍び寄るとあっては。

第4楽章の開始を告げる弦楽合奏の、そのおだやかな表情に、誰もが曲の平穏な未来を夢見ることだろう。だがたちまちわき起こる暗雲のような響きに、その夢はあえなく塗りつぶされてしまい、続いて躍り出てくる多彩だが騒々しい音楽は、その騒々しさの故にかえって混乱を招き、曲を終結へと導くことができない。解決を迫って吠え立てる、疑問符のような全合奏、一瞬の静寂! 立ち往生してしまった音楽の後を受けて進み出るのは、明るい音調に転じた、あの運命のテーマ」

(右の切手)

1966年 旧ソヴィエト連邦で発行された
第3回チャイコフスキーコンクール記念切手





チャイコフスキーの第5交響曲を聴く。曲頭、灰色の冷酷な法衣をまとって登場する運命のテーマ」は、全曲の最後には晴れやかな音調に着替え、華やかなマーチの先頭に立つ。その時、ふと思う。この堂々たるパレードの主人公は誰なのだろう。「運命」を見事にねじ伏せ、その首をとった人間の方か、それとも無慈悲に人間を翻弄し続けてはほくそ笑む「運命」の側か。


参考文献:
曲目解説ムソルグスキー・ストラヴィンスキー・チャイコフスキー
(一柳冨美子著・ベルリンフィルハーモニー管弦楽団 '94日本公演公式プログラムに所載)

文:上柿泰平(パーカッション)