(C) 関西シティフィルハーモニー交響楽団
(アマチュアオーケストラ,大阪市)

ベートーヴェン・交響曲第9番
−楽曲について−

<第1楽章>

 聴き手が最初に体験するのは濃霧のような謎めいた響きである。この和音は「ド・ミ・ソ」でいうところの「ミ」にあたる音を欠いているために、長調なのか短調なのかさえ判然としないという特異なもので、専門家たちからは「空虚5度の和音(“5度”は音と音との間隔を示す語)と呼ばれている。ベートーヴェンがこれ以前に作曲した交響曲では、曲の最初にいちばん重要な旋律「主題」を掲げ、曲がこれからたどる道筋を明確に示すのが定石であったのに、この「第9」では、ヨーロッパの芸術音楽にとっては背骨とも言える「調性」でさえまずはぼかしてしまって、そのもやもやとした混沌のなかから主題をとりだしてみせる、という手法に達した。そうした達人の技は「不気味な黒雲、雷鳴……巨大ななにものかの出現!」といった風の、力強いドラマティックな開始として、この交響曲のはじまりを飾っている。
 そしてこの楽章を形づくるもう1本の柱「第2主題」も、古典派の慣例に反した調性にのせて奏でられる。だがそのアイディアも、もちろん考え抜かれた末のものであるため、ほんの少しの不自然さも感じさせず、したがって音楽の美も損なうことはない。
 先人から継承した音楽の型に、いかにして独自の音楽を盛り込むか、ということに苦心していたのが、ベートーヴェンの先輩である古典派作曲家のハイドンやモーツァルトたちだった。最初こそその流儀に従っていたベートーヴェンであったが、次第に、形式の枠はときに踏み越えてでも、自分は自分の歌を歌う、という方向に進んでゆき、その後輩のリストワーグナーにいたっては、自分の音楽を表現するために、自ら形式までも創作してしまう(註1)。「音楽史」は、ベートーヴェンの頭上を通過しつつ、「いかに表現するか」から「何を表現するか」へと、その旗印を持ち替えたのだった。
 第1楽章に限らず、この「第9交響曲」では、ベートーヴェンのあふれんばかりの独創が、ときとして古典の枠まで溶かすか、とまで思える瞬間に、いくども出会う。細かな音の配列の点でも、楽器の使い方にも、全体的な構成にさえも……。ひたむきに流れているようでも、どこか悲愴感が漂い、ぎしぎしときしんでいるようでもある、この第1楽章の響きを、伝統の音楽形式と作曲家の創造の情熱とのせめぎ合いの音、と聴くのは大げさだろうか。

<第2楽章>

 飛び跳ねるような強靭なリズムが、忽然と、庭園のとび石のように配置されたオープニング。積み上げられた無数のレンガが大建築を造りあげるように、第2楽章の音楽も、このリズムパターンを細胞として築きあげられている。それはまるで、色や形が刻々と、かつ巧妙に変化してゆく幾何学文様風の映像のようで、特定の何かを表したりこそしないものの、絶妙なバランス感覚と構成力によって支えられ、聴き手をほんの一瞬とて飽きさせることがない。
 そうした第一級のデザイン画的音楽を背景に、大胆に跋扈(註2)してみせるのがティンパニだ。オーケストラと協調したかと思えば、不意に遮るようにとび出してきたり……。「ベートーヴェンはティンパニが好きだったんじゃないかと思う。好きな楽器の縦横無尽の大活躍が聴きたくて、曲中であれこれと工夫をこらしたんじゃないか」と、あるティンパニ奏者は音楽雑誌のインタヴューで語り、音楽評論の大家でさえも「若いころ…・・・やりたかったのは……このティンパニを打つことだった。……大管弦楽を向こうにまわしてこんなに破天荒な音が痛打できたら、さぞかし痛快なことだろう」と憧れた。この楽章の魅力的なティンパニ・パートは、音楽に携わる人々の胸の中の太鼓まで打ち鳴らすようだ。
 中間部オーボエやホルンを主役とする、メロディやハーモニーに主眼が置かれた音楽。讃美歌風のトロンボーンは第4楽章を予告するかのよう。

<第3楽章>

 幾色かのやわらかな音が、静かに静かに重ねられ、空気はゆっくりと、この淑やかな楽章の色に染まってゆく。この花園のような音楽で進行役をつとめるのは2本の旋律―――最初の木管の和音のすぐあとに弾かれる、思い出にまどろんでいるようなヴァイオリンのメロディと、そのしばらくあとに出現する、控え目に舞曲風な3拍子―――である。これらは交代で曲を前進させてゆくが、登場する度そのたたずまいは変貌している。憧れの歌、絹の裳裾、天女の舞……。音楽は信じ難いほどに美しくなってゆくが、退廃の匂いはどこにもない。
 ところが何ごとか宣言するような、記念碑のようなフルオーケストラが鳴ると、規則的な硬いリズムが打たれるようになり、そわそわした気配まで漂いはじめる。それでも否定的な方向へは進まない。来るべきものがやってきた、さあ向かい合おう、といった感じの建設的な音楽が、第4楽章への扉を大きく開く

<第4楽章>

 音楽が自らに関して自問自答する序を持った、こんな特異な音楽は、この曲以前にはたぶんなかったろう。低音楽器がものものしく投げかける問いに、オーケストラは過ぎた楽章の音楽を提示して反論し、そのやりとりのなかから「よろこびのうた」が生まれる、といった大がかりな下準備でさえ、「ああ友よ、そんな騒音ではないのだ」とあっ気なくバリトンソロに否定されてしまう。そして彼の「さぁ、声を合わせて歌おうではないか、喜びを!」との呼びかけを合図に独唱、合唱が参入して来、以降はこれら声楽パートが音楽の中心に位置する。男声のみによる勇壮なマーチや、厳粛な神への讃歌ミケランジェロの天井画を想わせる壮大なフーガなどがつづけざまに開陳されたのち、速いテンポのしめくくりの音楽が置かれ、幕引きは完全に脇役と化したオーケストラが担当する―――。
 自らの表現のためにはルール違反も辞さぬベートーヴェンは、この膨大な第4楽章でついに、伝来の音楽形式を破壊してしまったのかもしれない。古典交響曲では第4楽章はテンポの軽快な、第1楽章よりも簡潔な音楽でなくてもならなかったのだから。

 ベートーヴェンの「破壊行為」に、はっきりと異議を唱えたひとりに、作曲家のルイ・シュポーア(1784−1859)(註4)がいた。
 彼は「聴力が著しく減退した晩年のベートーヴェンは……音楽上の誤謬(間違い)を以前のように耳で修正することができなくなってしまった。したがって、彼の音楽が理解しにくくなってきたことは、怪しむに足らない」と述べた上で、「第9」の終楽章に関してはまず「シラーの頌歌のとらえ方があまりに陳腐(ありきたり)」であり、これを「ベートーヴェンに美学的な訓練がかけていることを示す証拠」だとし、「第4楽章は奇怪で悪趣味である」とまで断じた。「水戸黄門の印籠」さながらに登場し、鮮やかに音楽の進路を切り拓いてみせるバリトンソロや、舞台上の全員が恥じらいもなしにシラーの詩を歌い上げるさまに、シュポーアは眉をひそめたのだろう。
 今日の我々にとっての「第9」の魅力といえば、詩がうたいあげるヒューマニズムの精神や、合唱を伴ったオーケストラという、大編成の合奏体が放つ熱気、迫力などにあろうが、これらはとりもなおさず、ベートーヴェンがルール違反を承知で交響曲の世界に持ちこんだもの、そしてシュポーアが「悪趣味」と呼んで嫌ったもの、そのものである。ベートーヴェンが獲得した力強くも個性的な「新しい表現」に喝采をおくっているのが21世紀の私達であり、それによって一方で喪われてしまった「古典音楽の節度や美意識」を惜しんでいるのがシュポーア、ということになろうか。


(註1)リスト・ワーグナーが創作した形式
フランツ・リスト(1811〜86年)は、絵画、文学作品から着想した管弦楽曲「交響詩」を創案、自ら13篇を作曲。またリヒャルト・ワーグナー(1813〜83年)は、それ以前のオペラよりも文学的側面に、より重きを置いた「楽劇」を創始、「トリスタンとイゾルデ」、4部作「ニーベルングの指環」などを作曲し、その上演のための特別な設計がなされた「バイロイト祝祭劇場」も建設した。

(註2)跋扈(ばっこ)
他に遠慮せず、自由気ままに振舞うこと。

(註3)ルイ・シュポーア
Louis (Ludwig) Spohrはヴァイオリニスト、指揮者としてヨーロッパ各地で活躍する一方、多数のオペラ、交響曲、協奏曲、室内楽曲、オラトリオなどを作曲した。今日ではヴァイオリン協奏曲第8番「激唱風に」や「大九重奏曲」の作曲者として知られている。

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