第九初演時の楽器編成
 30歳を迎える前から聴力に障害を来していたベートーヴェンは、弟子や協力者たちとの会話を補うために筆談を行っています。弟子たちが文字で書き、ベートーヴェンが口頭で答える、という方式です。この帳面の多くは弟子のシントラーにより破棄されてしまいましたが、現在でも全体の8分の3ほどにあたる136分冊が残っています。

 この会話帳の解読が進む中でさまざまなことが判ってきました。その一つが、初演時の楽器編成です。

 それによりますと、3月8日の時点で予定していた編成は、弦楽器に関しては第1ヴァイオリン12名、第2ヴァイオリン12名、ヴィオラ8名、チェロ10名、コントラバス8名でした。
ところが、4月24日付のシントラーの書簡によると、12名のチェロとコントラバス、となっていて、5月7日の初演までに増強されていることが判ります。

 管楽器に関しては、二倍、すなわち四管編成を集め、フォルテの所は二管(Tutti)、ピアノの所は一管(solo)、と使い分けていたことが判りました。四管編成というとワグナー以降と思われがちですが、実はベートーヴェンの時代から行われていたのです。

 演奏をしたのはケルントナー・トーア劇場の管弦楽団と合唱団に、音楽友好協会のアマチュア演奏家を加えた混成オーケストラでした。初演当時のケルントナー・トーア劇場には第1ヴァイオリン6名、第2ヴァイオリン6名、ヴィオラ4名、チェロ3名、コントラバス4名、木管と金管が各2名、ティンパニが1名いました。ですから、初演時のオーケストラの半分はアマチュアだったということになります。

 合唱に関しては、各部24〜25人でした。ケルントナー・トーア劇場には32名の少年合唱団員(各16人のソプラノとアルト)と34名の男声合唱団員がいましたので、これに各声部10名弱のアマチュアを加えたということになります。

 練習は、合唱が練習に入ったのが4月28日で、総練習は2回しかしていません。いったいどんな演奏だったのでしょう?演奏会自体は大成功で、「第九」が終わったあと「万歳」が4回かかり、5回目を警官が制止したと伝えられています。皇帝陛下にすら万歳は3回までと決められていたからです。

 しかし、5月23日にレドゥーテンザールで再演されたあとは、ベートーヴェンの生存中は、「第九」はウィーンでは演奏されていません。評論家たちの評判も芳しいものではありませんでした。合唱のはいる交響曲というのが奇異にうつった、ということもありますが、やはり当時の練習形態と演奏技術では「第九」の真価を発揮することができなかったのでしょう。



(C)関西シティフィルハーモニー交響楽団

(アマチュアオーケストラ,大阪市)