ワルツと「ワルツ王」シュトラウス

 ワルツという日本語は英語のwaltzに由来しますが、その大本はドイツ語のWaltzerです。この単語は転がす、という言葉(waltzen)を名詞にしたもので、体を回す踊りであることを意味しています。

 ワルツの発生は1780年頃といわれていますが、中世以来三拍子系の回転を伴う舞曲は広く踊られていました。では、これがどのようにワルツに変化していったのでしょうか。

 中世以来知られる三拍子系舞曲にドレーヤーがあります。これが近世にはいると様々な舞曲に分かれていきました。その中で重要なのがレントラーです。

 レントラーはワルツより少しテンポが遅い四分の三拍子の踊りで、八小節ずつの部分二つから成り立っています。もともとはオーストリアやバイエルンの農民の民族舞踊ですが、今日ではウィーンの社交ダンスにも取り入れられています。ワルツと異なり足を高く上げたり飛び跳ねたりする動作を含み、男が高く掲げた手の下で女が回転する動作はフォークダンスにも取り入れられています。

 今日のレントラーは二つに大別されます。ひとつはシュタイリッシャーと呼ばれるもので、第一拍と第三拍を強調する形が多く見られます。男女とも複雑な手の動きをします。もう一つがラントラとよばれるもので、男の動きが活発で複雑なのに比べ女は脇役的な動きしかしません。第一拍と第二拍が短く、偶数拍子のリズムに近くなっています。

 レントラーはハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンが作曲しているほか、ブルックナーやマーラーの交響曲のスケルツォ楽章にもその影響が伺えます。

 ドイツ舞曲もワルツの前身として重要です。これはテンポの速いドレーヤーで、モーツァルト、ハイドン、ベートーヴェン、シューベルトらが市民のために作曲しています。

 これらの三拍子系舞曲に足を滑らせる動作が加わって、都会的踊り、ワルツが誕生しました。この変化の生じた理由は三つ考えられます。第一は、踊られる場所の違いです。野外や居酒屋で踊られるレントラーでは足を踏みならしたり飛び跳ねる動作は効果的ですが、都会の磨き上げられたホールでは足を滑らせる動作の方が効果的です。この動きの変化に伴い、分散和音的なレントラーから順次進行的な、流れるようなワルツの音楽も生じてきました。第二に、履き物の違いがあります。農夫の履く重いブーツでは床を踏みならす踊りはおもしろい効果を生みますが、都会人の履く軽い靴には速いテンポで足を滑らす方が似つかわしいでしょう。第三に、踊る人の違いがあります。農民の踊り、レントラーはひたすら陽気で元気ですが、ワルツは都会で、広い社会層により踊られるので、洗練され、情感が多様です。

 1780年代、ウィーンでワルツは急速に広まります。皇帝ヨーゼフ二世が貴族と平民の溝を埋めるために3000人の平市民を宮廷舞踏場に招待しワルツを踊った、ということがモーツアルトによって記されています。また、モーツァルトの「ドン・ジョバンニ」のなかにも他の作曲者の作品の引用の形でワルツは登場します。ただ、モーツァルト自身はワルツを上品な踊りとは見ていなかったようです。

 初期のワルツはレントラーやドイツ舞曲に近いものでした。多くは八小節ずつの二部形式で、メロディーも単純でした。しかし、人々がワルツに熱狂し出すと十六小節構成の短い曲では満足できなくなってきます。曲は様々な旋律をつなぎ合わせたものになっていきます。それと同時に、ピアノで弾くワルツも普及していきます。この種のワルツの最初の傑作はオーストリア人のものではなく、カール・マリア・フォン・ウェーバーの「舞踏への勧誘」です。シューベルトのワルツはまだ幾分レントラー的な性格を持ち、テンポも遅めですが、曲の長さも多様になり、短調のものも多くなっています。

 こうした大作曲家によるワルツの流れとは別に庶民によって踊られる、無名の作曲家の手によって作曲されるワルツがありました。この流れから「ワルツ王」シュトラウスの音楽は生まれます。

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