オスマン・トルコ

 トルコの一部族だったオスマントルコは、15世紀半ばに東ローマ帝国を滅ぼしてから版図を拡大し、たびたび西ヨーロッパに侵攻しました。西ヨーロッパの最東端に位置するウィーンは当然たびたびトルコ軍と戦戈を交えることになりました。16世紀スレイマン1世の時代にはトルコは二度もウィーンを包囲しています。トルコによるウィーン攻略は、1710年にオーストリアの英雄・サヴォァのオイゲン公がトルコ軍に対する二度目の大勝利を納めるまで続きました。

 トルコとの戦争はウィーン新しい文化をもたらしました。その一つがコーヒーです。戦争中に偵察任務に就いていたコルシツキーという男がトルコ軍の敗走したあとからコーヒーの袋を見つけそのおいしいことを知り、市の許可を得て最初のコーヒー・ショップを開いたというのです。ウィーン名物のカフェ・ハウスの始まりです。

 そして、トルコといえば、言わずとしれたトルコの軍楽隊太鼓やシンバルに合わせて吹奏楽器が強烈な響きでメロディーをかなえる独特な音楽は、ヨーロッパ中に広がっていきました。また、トルコ・オペラというものもはやりました。グルック「トーリッドとイフィジェニー」モーツァルト「後宮からの誘拐」にはトルコの軍楽隊独特の編成を模した楽器編成が成されています(シンバルやピッコロ)。芸術音楽の中にもトルコ行進曲は入っていきました。ベートーヴェンの第九の終楽章にもトルコ行進曲が用いられています。トルコのクレセント(Turkish crescent)と呼ばれる楽器は今日でもヨーロッパの軍楽隊で見られます。クレセントとは三日月のことで、回教(イスラム教)国の象徴で、楽器はこの月と星を模した形になっています。ちなみに、パンのクロワッサンの語源もこの三日月で、ウィーン包囲が解けた戦勝祝いに焼かれたのが始まりということです。