マイスタージンガーの音楽

 ヨーロッパに都市が生まれ、14世紀には市民階級が勢力を伸ばすようになりました(ウィーンが都市権を得たのは1221年)。彼らは自らを一般民衆とは一線を画した存在と位置づけ、独自の文化を持とうとしました。その結果、貴族階級におけるミンネゼンガーの芸術を継承し、自らの物として発展させることを目的として生まれたのがマイスタージンガーの音楽でした。ただし、マイスタージンガーの音楽がミンネゼンガーの音楽から継承したのは文化の受容の姿勢や精神で、音楽や詩の内容に関しては両者に深い関係はありません。歌は無伴奏で歌われ、おおむねAAB(前句、前句、後句)という形式がとられました。歌の内容としては、聖書の解釈をめぐる寓話的な内容が最も多かったのですが、ほかにも政治的な話や、闘争や愛なども題材にされました。

 マイスターとは15、6世紀のドイツで発展した手工業者の親方のことで、徒弟制度の頂点でした。このマイスターにして、しかも音楽家としてもマイスターであった人々がマイスタージンガーです。手工業者にギルドと呼ばれる組合組織ができたのに習い、歌手としても組合を作り、5つの階級を作り、その頂点をマイスターと呼んだのです。マイスタージンガーとなるためには歌の技術はもちろんのこと、人格的な資質もとわれ、組合には様々な規則がありました。

 ワグナーのオペラにもあるように、マイスタージンガーといえば中部ドイツの都市・ニュルンベルクが有名で、そのオペラにも登場するハンス・ザックス(1576年没)は最も高名なマイスタージンガーの一人です。しかし、ウィーンではマイスタージンガーの音楽はあまりはやりませんでした。これはひとつには、マイスタージンガーの音楽がプロテスタントの信仰と深く結びついていたことと関係があるでしょう。カトリック圏であるウィーンはこれを受け入れる素地がなかったといえるのかもしれません。

 それよりも組合の煩瑣な規則が享楽的なウィーンの人々に受けなかったのが真相かも知れません。概して、カトリック教の国は享楽的で(スペイン、フランス、オーストリアetc.)プロテスタントの国は禁欲的(ドイツ、イギリスetc.)なようです。