ハインリヒ2世

 12世紀半ば、オストマルクは公領に昇格し、1221年にはウィーンは都市権を獲得しました。このころからウィーンの支配者の間にキリスト教が浸透していきます。この時期、「東方の蛮族」たるゲルマン民族にとって、キリスト教の受容は大きな政治的選択でした。

 なかでも、この初代公爵は信心深いキリスト教徒であったことが知られています。

 ことあるごとに Ja so mir Gott helfe!(さすれば神よ、我を助け給え)と口にしていたことから、ヤゾミールゴットの呼び名がついたほどです。

 当時ウィーンにはルプレヒト、マリア・アム・ゲシュターデ、ペーターという3つの教会があり、さらにシュテファン教会の建造も開始していました。

 シュテファン教会には一種の市民学校が12世紀半ばから誕生し、音楽も義務科目として教えられていました。教会が一般の人々の音楽教育に果たした役割は大きいものでしたが、それを支えたのは信仰の厚い統治者であったといえるでしょう。