歴史に名だたる”ワルツ王”
− ヨハン・シュトラウスU世の音楽 −



ヨハン・シュトラウスU世夫妻

ヨハン・シュトラウスU世は生涯のうち3回結婚しており、この写真は3度目の妻と撮った写真です。
(写真左)
ヨハン・シュトラウスU世
(写真右)3番目の妻アデーレ


<喜歌劇「こうもり」序曲>

   絢爛豪華な”お笑い”に相応しい序曲

喜歌劇「こうもり」は、1874年4月5日アン・デア・ウィーン劇場で初演された、全3幕からなる喜歌劇(オペレッタ)で、現在もなお頻繁に上演される喜歌劇の中でも優れた代表作の一つであります。

舞台は、当時の”お気楽な”ウィーン上級社会で、主人公の悪戯のせいで恥をかかされた友人が、巧みな仕掛けで主人公に仕返しをするという筋なのですが、内容は決してシビアな復讐劇ではなく、あくまで”お気楽”なドタバタ喜劇です。
(この筋書きは、ベネディクスの書いた喜劇「監獄」を基にしたとのことです。)

登場人物も主人公アイゼンシュタインを始めその関係者(夫人、友人など)はもちろんのこと、夫人の元恋人や主人公が入れられる刑務所の酔いどれ看守、はたまたなぜか刑務所の所長まで”お邪魔役”で飛び出して来るという、非常に賑やかなものです。
(そのおかげで、初演当時は登場人物が多すぎて煩雑であるとの悪評もあったとか・・・)

「こうもり」の名前は、この喜歌劇の主人公アイゼンシュタインの友人ファルケ博士のあだ名から来ています。
そのいきさつは、かつて舞踏会の帰りに、アイゼンシュタインが悪戯のつもりで、酔い潰れて寝てしまった友人のファルケ博士をこうもりの仮装のまま市街の公園に置き去りにしたことから、翌朝になって起きたファルケ博士が、その仮装を見た多くの人から笑いものにされてしまい、「こうもり博士」というあだ名をつけられてしまったというものです。

今回演奏される「序曲」は、その名の通り、喜歌劇の幕が上がる前に演奏される曲で、第2幕の終盤の舞踏会で踊られる有名なワルツを始めとして、アイゼンシュタイン夫人の哀歌など劇中の主立った場面の旋律が次々に現われる、賑やかかつ美しい曲で、管弦楽曲として独立して演奏されることも多い曲です。







<ワルツ「ウィーン気質」>
   ”破産都市”に流れた輝かしい調べ

このワルツは1873年4月22日楽友協会ホールでの宮廷オペラ舞踏会で初演されたもので、当時のデンマーク国王クリスティアーン9世に献呈されました。

このワルツが初演された当時のウィーンは、オーストリア・ハンガリー帝国の威信を懸けた国際的大イベントの万国博覧会など、数々の無理な巨額出費のため財政が破綻し、株式暴落、銀行や会社の倒産、失業者の急増など恐慌状態にありました。
その中にあって、このワルツの旋律の数々は、自信を失っていたウィーンの人々に、その名の通り、かつての輝かしい「ウィーン気質」を思い起こさせたのでした。

曲の構成としては、ヴァイオリン独奏が中心の序奏→4曲の小ワルツ→小ワルツの回想が中心のコーダ(終結部)という、この当時の彼の作品でよく見られたものです。
しかし、その旋律は彼の作曲した全てのワルツの中でも特に流麗で美しいものの一つで、その中でも第1番目の小ワルツの旋律は有名で、CMなどのBGMとしてかかることもあります。









ヴァイオリンを持ちながら指揮する
ヨハン・シュトラウスU世を描いた
「ウィーン気質」のシルエット画
(ハンス・シュリーマン作)

ヨハン・シュトラウスU世のワルツには序奏部にヴァイオリン独奏がでてくるものが多く、彼自身が指揮をする際は、その部分を彼自身がヴァイオリンを弾いていたそうです。

 
ヨハネス・ブラームスと
ヨハン・シュトラウスU世
(1894年 バート・イシュルにて)

ヨハネス・ブラームスはヨハン・シュトラウスの音楽に魅了された人物の一人で、特に「美しき青きドナウ」と喜歌劇「こうもり」に至っては「自分の作品であれば良かったのに!」と、賛辞とも羨望ともとれるような言葉を残しています。
(写真左)ヨハン・シュトラウスU世
(写真右)ヨハネス・ブラームス



ウィーン楽友協会大ホール
(ムジークフェライン)
(1870年1月5日 完成式の様子)
ウィーン楽友協会大ホールは、ヨハン・シュトラウスU世の「ウィーン気質」等の初演にも使われた、現在もほとんど原型のまま保持されている由緒正しきホールです。

<シュトラウスU世のポルカ>
   ”お気軽”を絵に描いたような曲の数々

当時、超売れっ子作曲家であったヨハン・シュトラウスU世は、ウィーンのいろいろな団体(政府、大学、各種協会など)、はたまた諸外国からワルツやポルカの作曲の依頼を受け、これに応えてきました。
また、自身が作曲したオペレッタ(喜歌劇)に出てきた旋律を一部抜粋してワルツやポルカとする場合も多くありました。

以下の3つのポルカもその様な経緯から作曲されたもので、どれも”お気楽”を絵に描いたような楽しさに満ちあふれています。
曲の形式短い序奏→ポルカ→トリオ(中間部)→序奏とポルカの再現→コーダという、きわめて単純なものです。


(急速)ポルカ「観光列車」 作品281

このポルカは1864年1月19日にレドゥーテンザール(独語で「ザール」とはホールや講堂を意味する。)の企業家連合舞踏会で初演されたもので、産業協会に献呈されました。
当時のウィーン観光列車の開通を記念して作曲されたとのことです。
特徴としては、「列車」に関連したポルカらしく、蒸気機関車や汽笛を模した音が頻繁に出てきます。


急速ポルカ「雷鳴と電光」 作品324

このポルカは1868年2月16日にディアーナザールのヘスペルス舞踏会で初演されたもので、芸術家協会ヘスペルスに献呈されました。
その名の通り、雷の音「ドカン!」「ゴロゴロ・・・」を模した音が頻繁に出てきますが、一説によると自然界の雷ではなく、ウィーンにあった大砲の音を模したものとも言われております。


喜歌劇「ウィーンのカリョストロ」のモチーフによる
急速ポルカ「狩」 作品373

このポルカは1875年夏に作曲されたものですが、明確な初演日は不明(一説によると、1875年8月5日に新世界館で初演)です。
当時の「狩」に必須の猟銃の音が頻繁に出て来るのが特徴です。
ところで、このポルカの旋律の基となった喜歌劇「ウィーンのカリョストロ」は、トルコ軍の占領から解放されたウィーンの喜びを魔法使いカリョストロの物語と合体させた内容だといわれており、1875年2月27日にアン・デア・ウィーン劇場で初演されたものですが、先に同場所で初演された喜歌劇「こうもり」とは対照的に、現在ではすっかり忘れ去られています。