1909年5月19日、いつもは子供向けの幻想劇が上演されるパリのシャトレ座は満員の観衆の異様な熱気に溢れていました。舞台の上ではこの世のものとも思えぬ色と踊りとハーモニーの渦が巻き起こりました。原始的な力強さの溢れる舞台に、お客さん達もかつてないほど興奮させられました。これが20世紀前半のヨーロッパ芸術界をリードすることになる、ロシア・バレエ団のデビューの瞬間でした。

 ロシア・バレエ団はディアギレフの死まで続き、20年間に約70演目を上演し、バレエ史、いや、芸術史に輝かしい歴史を残します。天才的興行主のディアギレフは、舞踏家だけではなく、作曲家、画家にいたるまで当代の一流芸術家達を次々にその渦の中に巻き込んでいったのでした。

 さて、ウラジーミル大公という庇護者を失い絶体絶命のディアギレフに起死回生のチャンスを与えたのは、マダム・ミシア・セール(当時は財産家のエドワール夫人)、グレフュル伯爵夫人ら、女性のパトロン達でした。

 バレエの公演を続けるには莫大な費用とエネルギーが必要です。ディアギレフが亡くなるまで彼の活動を支え続けたのは、忠実な男達(次のページの公演目録を見て下さい。驚くような名前を沢山発見できるはずです)と、パトロンの女性達でした。

 ディアギレフの死に際して真っ先に駆けつけてきたのは3人の女性、ミシア・セール、ココ・シャネル、そしてエルランジュ男爵夫人でした。

 20年の偉業の果てにディアギレフが残したのは1個のカフス・ボタンと莫大な借財だったといいます。