(C) 関西シティフィルハーモニー交響楽団
(アマチュアオーケストラ,大阪市)

作曲家 ヨハネス・ブラームス
−「新古典主義」の大家−




1880年代のブラームスの写真
<新古典派の巨匠> 
ヨハネス・ブラームス
(1833-1897)

ヨハネス・ブラームスについて>

ヨハネス・ブラームス
は、ドイツ北部の大都市ハンブルグの貧民街に生まれ育ちましたが、音楽家としての主な活躍の場は、そこから南方に遠く離れたオーストリアの首都ウィーンでした。

彼は、この19世紀後半から末にかけてに起こった、俗に新ドイツ派と言われる革新的な音楽(その中心となったのは、かの有名なピアニスト、フランツ・リスト
(1811-1886)と、ドイツオペラの革命児リヒャルト・ワーグナー(1813-1883)でした)には背を向けて、バッハベートーヴェンのような古典的な音楽の様式を研究し、それらの伝統に基づいた曲を作ってきました。
(まあ、現代にたとえるなら、出せばミリオン・ヒットで若者受け間違いなしの流行の歌謡曲には目もくれず、ただひたすらに、あまり若者受けしそうにない玄人受けの演歌を作曲していた、と言うことになりましょうか・・・?)

(おことわり)
本当はこれ以外に、ブラームスについては、彼の屈折した生い立ちや恋愛観、早くから見られた天才ぶり、ロベルト・シューマン(ピアノ曲や歌曲で有名なドイツの作曲家)による賞賛、クララ・シューマン夫人との恋、外科医テオドール・ビルロート(胃切除術式で有名)たちとの友情など、彼の人生には数々のイベントが満ちあふれています。そして、それらが彼の音楽に多少の影響を与えていたのですが、ここでは煩雑になってしまうのであえて省略し、彼の作風について直接触れられる新ドイツ派との対立を中心に紹介します
そのかわり、一般的に紹介されている彼の伝記にはあまり出てこない彼の意外?な一面をこのページの末端の「付記」に記させていただきます


新ドイツ派(ワーグナー派)との争い?>

おかげで、新ドイツ派ワーグナー派)を支持するフーゴ・ヴォルフ
(1860-1903:批評家であり後期ロマン派ドイツ歌曲の大家)などの各批評家から、大学教授並の作曲家("時代遅れの作曲家"など否定的な意味で)などと揶揄され、さらにドイツの大哲学者フリードリッヒ・ニーチェ(1844-1900:ニヒリズム、超人、永劫回帰などの思想で有名)に至っては、「ブラームスが創造したものは無能力のメランコリー(憂鬱や悲哀)である」と一刀両断にされてしまう羽目になってしまいました。

その一方では、古典的な形式美学を支持する批評家ハンスリック
(1825-1904:当時の権威ある批評家)や、伝統的な形式に基づいたブラームスの交響曲1番を「ベートーヴェンの第10交響曲」と評した指揮者ハンス・フォン・ビューロ(1830-1894:指揮者でベートーヴェン作品の研究や近代指揮法に貢献)などの支持者を得て、後にウィーン音楽界の一大権威にまで登り詰めました。

しかしながら、これらの批判者や支持者が、本当にブラームスの作品を心底卑下、または理解していたのかは、ある種疑わしい面もあります。

(たとえば、批判者であったヴォルフの場合は、交響曲第4番の批判文の中で「彼には無から何ものかを生み出す能力に長けている」と褒め言葉にもにたような一節があり、一方の支持者の筆頭ハンスリックに対しては、ブラームス自身が「自分の作品を本当に正当に扱っているのか」というような疑問を呈していたとの話もあります。)

また、ブラームス自身も新ドイツ派の親玉ワーグナーとその作品に対してはそれなりの敬意を表しており付記参照)、またワーグナー自身もブラームスに対して(ブラームスほどではなかったが)ある程度の敬意は表していたことから、これらの両派の派閥争いは、こうした両派の「取り巻き」たちによって拡大されたところが大きいようです。

(また、当時はこうした二大派閥に分かれて論戦を繰り広げることが、いろんなジャンルで好んで行われていたことも背景にあるようです。その究極の発展形が、つい最近まで旧冷戦構造に見られた、資本主義陣営vs共産主義陣営の二大イデオロギーの対立でしょう。)




リヒャルト・ワーグナー
  <新ドイツ派の巨匠> 
リヒャルト・ワーグナー
(1813-1883)

フーゴ・ヴォルフ
  <痛烈な批判者> 
フーゴ・ヴォルフ
(1860-1903)

エードゥアルト・ハンスリック
  <熱心な支持者> 
エードゥアルト・ハンスリック
(1825-1904)


<ブラームスの交響曲

さて、ブラームスの作曲活動は、彼がピアノの名手であった事もあり、おおむねピアノ曲や歌曲に重点が置かれていたため、フルオーケストラの管弦楽曲は少なく、特に交響曲においては4曲しか残されておりませんが、その交響曲のどれもが「頑固職人」の彼らしい緻密な計画に基づいて作られた、きわめて重厚な雰囲気を持つ曲です。
また、それらの曲はただ単に伝統を重んじて作られただけでなく、ブラームスの持つ天才的な機知によって、伝統の形を一歩進んだ形で発展させある種の「伝統の内部解体」と言っていいほどの大胆な試みも数多くなされています

ベートヴェンを意識する余り作曲に20年を要し、重苦しい雰囲気に包まれた交響曲第1番・・・ その逆に牧歌的な雰囲気に満ちた交響曲第2番・・・ 

そして、作曲年代が2年しか離れていない交響曲第3番
(第31回定期演奏会(終了)の演奏曲)交響曲第4番(第36回定期演奏会の演奏曲)はどんな雰囲気を持つ曲なんでしょうか?

<交響曲第3番の詳細へ>

<交響曲第4番の詳細へ>
(工事中)





<付記>
− 一般にはあまり出てこないブラームスの一面 −

・ゲルマン魂むき出しの熱烈な愛国者だった!

ブラームスは幼いときから学校でゲルマニズム(ドイツ国家主義の元となったゲルマン人主義)を徹底してたたき込まれてきたおかげで、心からドイツを愛し、宿敵フランスを嫌う熱烈な愛国者となっていました
(確かに彼の生涯の中で、フランス(の土地や人々)との関わりは全くと言っていいほど見られません。)

その一端として、「ドイツのマイスター(名手)を讃えよ!さすれば気高き精神は保たれ・・・神聖ローマ帝国(中世のドイツ)が霧散しようとも、聖なるドイツの芸術は永久に残るのだ!」(楽劇「ニュンルンベルグの名歌手」より)と、ドイツ芸術の崇高さを高らかに謳うワーグナーの楽劇(オペラ)に、「無視せずにはいられない!」と、控えめなコメントではありましたが、並々ならぬ感動を覚えていたそうです

そして、彼の部屋には、プロイセン(統一ドイツ帝国の礎となった国)鉄血宰相ビスマルク(巧みな外交手腕で統一ドイツ帝国を築いた、当時のドイツナショナリズムの象徴的存在)の横顔のポートレートが大切に飾られており、普欧戦争(プロシア(=ドイツ)とオーストリアの戦争)の時には、彼はウィーン(オーストリアの首都)在住にも関わらず、「ビスマルク万歳!」とドイツ側を熱烈に応援していたそうです。

・ゲルマン魂?むき出しのド派手な指揮だった!

作曲家、ピアノ奏者としてのブラームスの天才ぶりは人々が認めるところでしたが、自分自身の作品を何度か指揮したときの彼の指揮者ぶりには、それほどの才能は認めてもらえなかったようです。

現存する彼の指揮をしている場面のスケッチを見ると、上着のポケットに片手をつっこみながら、いかにもやる気がなさそうに指揮をしている様子がうかがえます。

ところが、彼の実際の指揮ぶりはそのような感じとは全く逆で、感情むき出しのド派手なアクションで指揮棒を振っていたそうです。
あれだけの豊満な肉体であったにも関わらず、指揮に下半身の動き(飛び跳ねたり膝を曲げたり)まで加えるわ、眼光鋭く奏者をにらみつけたり、感情豊かなところで拳を胸に当てたりするわで、ちょうど(あまりに派手なアクションで)「ピエロのようだ」とまで言われていた若き日の小澤征爾みたいな感じだったのでしょうか?

また、ある時、彼はティンパニ(音階付きの太鼓、管弦楽で一番重要な打楽器)奏者に、適切な音の強さを教えようとして、自らティンパニを叩いてみせたところ、勢い余ってティンパニの皮を破いてしまったとの逸話も残っています。

彼のゲルマン魂は指揮の面でも発揮されていたのですね(笑)

・ベートーヴェンよりも強かった上流階級へのコンプレックス
 
(少年の頃のトラウマと青年期の自分への否定)

彼はベートーヴェンと同じく貧困層の出であったことから、その対極にある上流(富裕層や貴族)階級に対して大きなコンプレックスを持っていました
しかし、ブラームスの場合は、彼が多感な少年だった10歳の頃、家計を助けるためにしていた(風俗店に近い)居酒屋でのピアノ演奏アルバイトで、大人たちの破廉恥な姿など社会の汚い裏側を目の当たりにしたトラウマが大きかったようで、上流階級の女性とはまともに付き合えず、売春婦以外との性的関係は持てなかったそうです。
(これらの事は、夫ロベルト亡き後のクララ・シューマンとの恋や、その後に婚約指輪まで交わした恋人アガーテ・フォン・シーボルトとの結婚が成就しなかった大きな一因となったようです。)

また、彼は青年の頃は、天才的だったピアノの腕はもちろんのこと、ファッションモデル並みにハンサムで痩身だったおかげで、結構女性にはもてたようですが、上記のトラウマやコンプレックスのためか、そうした自分自身の姿にさえ辟易し、青年期の自分への自己否定の意味で、中年期からわざとむさ苦しい格好をし、見苦しいまでに太りだしたとさえ言われています。

・根っからのドイツ人なれど、実はユダヤ人だった?(有馬茂夫氏による説)

ブラームスの出生地(生家はハンブルクのユダヤ人居住区にあった?)や、父祖の職業と名前(ユダヤ人しか付けないような旧約聖書に基づいた名前が多く、「ヨハネス」もそう)、交友関係(なぜかユダヤ系やそれと関わりの深い人物が多い)、風貌や生活様式(あの特徴的は髭はユダヤの戒律によるもの?)などから、彼はユダヤ人だったのではないかとの説があります。

参考文献(作曲家、曲の概説及び各楽章の解説)
  
1.ブラームス 4つの交響曲
        (ウォルター・フリッシュ著 天崎浩二訳 音楽之友社)
   2.ブラームス
        (三宅幸夫著 新潮社)
   3.ブラームスの「実像」 回想録・交友録・探訪記にみる作曲家の素顔
        (日本ブラームス協会編 音楽之友社)
   4.朝比奈隆 交響楽の世界
        (金子建 編 早稲田出版)
   5.BBCミュージックガイドシリーズ15「ブラームス/管弦楽曲」
        (J.Horton著 根岸一美訳 日音楽譜出版社)
   6.ブラームス
        (門馬直美著 春秋社)
  7.死因を辿る
      (五島雄一郎著  講談社)
  8.ブラームスの世界
      (音現ブックス  芸術現代社)

文:
岩田 倫和(作曲家及び曲の概説・基本データ)
    
上柿 泰平(ブラームス交響曲第3番:概説・各楽章の解説)


 



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