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<オペラ歌手に求められる演技力と歌唱力>
この歌劇におけるプリモ・テノール(直訳で「第一テノール」、芝居で言う「二枚目の主人公」どころ)は、オペラ史上希に見るみっともない役どころであるだけに、あまり聞かせどころもなく、第1幕最終の二重唱を除いて、ソロで聴かせるところは、(改訂版でお情け程度に追加された)第2幕第2場の「さらば愛の住処よ」ぐらいしかありません。
それでも「蝶々さん」を際立たせるために重要な役どころであることは、確実なところです。
<ピンカートンが日本で行った「結婚」(蝶々夫人の項とダブりますが・・・)>
ピンカートンが蝶々さんとした「結婚」は、実際のところピンカートンにしてみれば「カネで女を買った」、つまり当時の日本の慣行であった「人身売買」に過ぎなかったのでは、と考えられます。
当時の小作人や没落士族などの貧乏人の娘は、当時女衒(ぜげん)と言われていた人身売買斡旋業者(この歌劇に登場するゴローも恐らくこの類)によって金と交換に引き取られ、芸者や売春婦となって働かされるのが常でした。
(映画「野麦峠」に出てきた女工もほとんど同じ立場です。)
そんな感覚ですから、ピンカートンは日本人自体をバカにしきっています。
(以下は、現在演じられている「パリ改訂版」でカットされてしまいましたが・・・)
第1幕の結婚式の場で始めて蝶々夫人の親族や友人と会ったときにも、「バカ面が一つ、二つ・・・」と数えて、まともな人扱いをしてません。
その上、結婚式の場で出されたご馳走をなじりまくって「蜘蛛の巣の砂糖漬けでも持って来いや!」と暴言を平気で吐くのです。
また、その態度は、後の第2幕第2場に登場するケート・ピンカートン夫人についても言えることで、彼女も日本人をバカにして、はじめから傲慢な態度で蝶々さんから息子ドローレを引き取ろうとしますが、このとき蝶々さんはケートの傲慢な態度が気にくわなかったのか、息子の引き渡しには応じつつも、ケートの求めた握手を拒否しています。
(この辺りはさすが「誇り高き日本女性」ですね。)
<ピンカートン再来日の理由(一説ですが)>
ピンカートンは帰国3年後に砲艦アブラハム・リンカーン号で再び日本を訪ねますが、これはロングの小説等から推測すると、1894年(明治27年)に勃発した日清戦争に伴う極東情勢の変化により、アメリカ海軍が長崎に艦隊を派遣したためと考えられます。
艦隊派遣の理由は、恐らくシャープレス領事も含めた在長崎アメリカ人とその財産の保護だったのでしょう。当時は日本が清(満州の女真族に支配された当時の支那、その時の支配者は悪名高き女帝西太后でした)に勝つとは考えられず、日本海軍を打ち破った清の海軍が、日本の対外拠点の一つであった長崎に攻め込んでくると思ったのでしょう。
ちなみに、軍艦の「アブラハム(エイブラハム)・リンカーン」は1990年頃に建造されたアメリカ海軍ミニッツ級原子力空母として有名ですが、蝶々さんがいた当時(19世紀末)に砲艦として実在していたかどうかは判りません。
ですから、ピンカートンはあくまで任務で長崎を再び訪れたのであって、(恐らく一生)蝶々さんに会うつもりはなかったようです。
息子ドローレのことをたまたまシャープレス領事から聞いたから蝶々さんの家を訪れたのでしょう。息子だけを本国に連れ戻すために・・・
もちろんオペラ上(架空)の話ですから、そんなのどうでもいいと言えばそれまでですね・・・しかもアメリカの本妻ケート夫人もなんで同伴してるの?と言う疑問も生じますし(笑)
しかし、引き取られた息子ドローレは、その後アメリカの父親に引き取られてどうなったのでしょうか?
ゴローが「呪われた子」となじり、産みの母親が「苦悩」と名付けたこの息子は、まず間違いなくピンカートン夫妻にとって「呪われた子」となり「苦悩」の種となったことでしょう。
息子を見るたびに蝶々さんの壮絶な最期を思い出したことでしょう・・・
その息子も、(三つ子の魂も百までと言いますし)もし後に自分の生い立ちを知れば、産みの母親を(結果的に)殺した父と育ての母に復讐していたかもしれませんね。
(ちなみに、最近の蝶々夫人の演出の中には、蝶々さんが自刃した後、その自刃に使った短刀を息子ドローレが握りしめ、それを振り上げながらピンカートンに向かっていくという、復讐をほのめかすものもあります。もちろん総譜のト書きにはありませんが・・・)
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