歌劇「蝶々夫人」の人物像
−主要登場人物−


<蝶々夫人(蝶々さん)>
   愛を信じて誇りに殉じた悲劇のヒロイン

長崎オマラ地区(「オマラ」は歌劇での呼び方で、現在の大村市と思われる)士族(江戸時代に下級武士階級であった者の明治時代での呼び方)の娘で、結婚斡旋人ゴローの仲介によりピンカートンの嫁となった15歳(結婚当時)の少女です。

また、父親がいないことで家が没落し、親戚からもかなり冷たい仕打ちをされたようです。
(第1幕の結婚式の場面でも、親戚やいとこの台詞には「上手くいかないわ」とか「不幸になればいい」などとやっかみや呪いの言葉をかけるのが多く、祝福ムードにはほど遠いものばかりです。)

<蝶々さんの出自>
歌劇では、蝶々さんの家は昔は裕福であったが、士族の父親が天皇の勅令により切腹したために貧乏となり、食い扶持のために芸者となったとされています。

(以下はあくまで一説ですが・・・)
これを更に原作の小説(ジョン・ルーサー・ロング作)のネタ話等から推定しますと、父親が切腹した理由は、元大村藩士であった士族の父が西南戦争(1877年に起こった西郷隆盛率いる薩摩軍(不平士族の連合軍)と政府軍との内戦)に荷担(薩摩軍側か政府軍側か分かりませんが・・・)その(薩摩軍への荷担か戦中の不手際かの)責を負われたためという説があります。
となると、(その後のピンカートン来日との整合性を考えると)蝶々さんは1876〜7年(明治9〜10年)に生まれたと考えられます。

ただ、これは「蝶々さん」を史実の人物と仮定した場合の推測であり、実際は当時の複数の史実や話を総合して創られた人物だと言われております。(それについては後日触れるつもりです。)

<純情なヒロイン>
彼女は軽薄なアメリカ人士官(ピンカートン)が任務の途中で戯れにやった結婚(100円(現在の100万円相当?)で紹介してもらったことから、ある種の人身売買とも考えられる)「真の愛による結婚」と信じて止まない、非常に純情な少女で、その一途な思いは夫の帰国後3年を経ても全く変わることがないほどに強烈なものだったのです。

<誇り高き日本女性>
また、結婚3年後に夫に裏切られたと判った時に、一度は日本(とそこにいる親戚縁者)を捨ててまでアメリカ人の妻となった身、元の芸者稼業に戻るのは死よりも辛いこととして、大切な息子を夫と真の妻に託し、自らは誇りを守るために父の形見の短刀で自刃するという、誠に誇り高い当時の日本女性のイメージ、そのままの姿なのです。
(当時の欧米人は欧州や米国に来る日本人を見て、日本人のことを「世界中希に見る誇り高き民族」と賞賛することが多かったのです。)


<オペラ歌手に求められる演技力と歌唱力>
ソプラノ歌手
が、このような純粋で誇り高き「悲劇のヒロイン」の役をほとんど出突っ張り(劇中ほとんどの時間で出演している)で演じる(歌う)のは並大抵のことではなく、極めて高い演技力と歌唱力が求められるのです。
前作の「トスカ」の主人公フローリア・トスカと同様に、この大役を上手く演じきれる歌手はそうそうにいません。


<「ひたむきな愛情」の裏側(ちょっと穿った見方ですが・・・)
さて、以上はオペラの表面から窺い知ることの出来る「蝶々夫人」像ですが、実際蝶々夫人は「ひたむきで純粋な愛情」のみでピンカートンを信じていたのでしょうか?
・・・正直、潜在的にこの結婚が「戯れ」だと分かっていつつも愛さないと、信じないと、生きていけなかったのではなかったのでしょうか。

考えてみますと、この結婚自体はっきり言えば、結婚斡旋人
(真の姿は金儲け主義の女衒(ぜげん:人身売買斡旋人)でしょう)ゴローがピンカートンに100円で蝶々さんを「花嫁」と称して「売り飛ばした」、ピンカートンもそれを百も承知で任務中のお遊びで「結婚」と称して「カネで女を買った」、ただそれだけの話です。
(女衒のような人身売買斡旋業者による貧乏人の娘の売買は、この当時では当たり前の慣行でした。)
また、蝶々さんにとってもいかがわしい芸者稼業から足を洗える上に斡旋料の一部が貰えて、しかも(戯れと解っていても)アメリカ海軍士官夫人の座も手に入るのですから、まさにこれだけいい「取引条件」はなかったと思います。

ですから、第1幕丘をあがっていく蝶々さんの気持ちは「愛情」と言うより、(士族の娘にとって恥辱としか言い様のない)芸者稼業から足を洗えたことの「開放感と、自分を大枚叩いて買い取ってくれたピンカートンへの「感謝の気持ちではなかったのではないでしょうか・・・
(現に現在演じられている「パリ改訂版」の前のミラノ・スカラ座での「初演版」では、蝶々さんはピンカートンに開口一番この私を100円で買って頂き感謝致します。」と言っているのです!)

そして、結婚式の席でキリスト教への改宗がばれて、親族、友人から「絶縁」され、一人になった蝶々夫人には、もうピンカートンしかいなかったのです。もうこうなると「戯れ」だろうと「人身売買」だろうと関係ないでしょう。もう生きていく選択肢はなかったのです!
絶縁したのは友人も含まれてましたから、当然前の「仕事」を共にしてきた「芸者仲間」もいたでしょう。
(第1幕の蝶々さん登場時に一緒に来た女友達は、ほぼ間違いなく仕事(芸者)仲間でしょう)
となれば、芸者への復帰もほぼ不可能でしょう。

第2幕第1場で突然の勝利のファンファーレ?と共に登場する息子ドローレの存在は、蝶々さんにとって「愛する息子」であると同時に、ピンカートンを自分に繋ぎ止めるための「最終兵器」と見なしていたのでしょう。
「これが私との絆の証よ!」と・・・
(だったらあの過剰なまでに勝ち誇った音楽の意味も分かります。)

「ひたすらに愛した」と言うより、戯れでも「愛する」ことでしか肉体的にも精神的にも生きることが出来なかった蝶々さん・・・
そう思うと、「裏切られたという断腸の思い」以上の哀れみを感じてしまいます・・・まさにこれ以上の「悲劇のヒロイン」はいないでしょう。