神々の誰ぞ彼?〜日本編

2.サルダヒコ(猿田彦大神または佐太大神(サダオオカミ)ともいわれる)

(サルタヒコともサルタビコとも。ここではオペラの中で呼ばれる形に近いサルダヒコで統一します)

イザナギ、イザナミの二柱の神は、男女、生死という、いわば生物学的な対立の境界線に関わる神々でしたが、サルダヒコの場合は、もっと政治的な境界線と言えるでしょうか。

サルダヒコが記紀の神話に現れるのは、イザナギ・イザナミ両神の曾孫にあたるニニギの尊が葦原中国(はしはらのなかつくに:サルダヒコ、オオクニヌシなど国つ神のいる地上界)を治めるべく、高天原(たかまのはら:天照大御神など天つ神(あまつかみ)が住まう天上界)より天下る、いわゆる天孫降臨の場面です。

天孫一行天の八衢(あめのやちまた:交差点のこと)に差し掛かると、異形の神が立っている、それがサルダヒコでした。
その姿、頭とお尻が明々と光り高天原と葦原中国を照らし、鼻は七尺、背の長さ(幅のことでしょうか?)は七尺、背丈が七尋という巨体です。顔がホオズキのごとく赤く、目は八咫の鏡
(やたのかがみ:三種の神器の一つ)のように輝く、という恐るべき姿です。
光り輝く姿や、目が八咫の鏡に喩えられる点、アメノウズメに呼びよせられてきたというところ等から、おそらくはアマテラスと同じ、太陽神なのでしょう。

*:三種の神器

代々の天皇が継承してきた、いわば王権の象徴で、八咫の鏡草薙の剣(くさなぎのつるぎ)、八尺の勾玉(やさかのまがたま)の三つの宝物であるが、これらの宝物が「神器」として神格化されたのは平安時代といわれる。

「八咫の鏡」
は、太陽の如く光り輝く鏡で、高天の原で暴れ回ったスサノオの尊(アマテラス、ツクヨミと同時にイザナギの禊ぎで生まれた神の一人)に恐れをなし、天の岩戸に引き籠もった太陽神、天照大御神(アマテラス)をおびき出すために、「新たな太陽神が生まれた」と称して岩戸の前に置かれた。
その際、天賣受女命(アメノウズメ)はその岩戸の前で、偽りの太陽神誕生を祝う宴会を盛り上げるために、乳房と女陰部を露出させた踊り、つまりストリップショーを披露した

「草薙の剣」
は、暴虐が過ぎたスサノオが高天の原を追放されたあと、ヤマタノヲロチ(八つの首を持つ竜のような化物)を退治した際に、その尾から取り出され、高天の原に献上された剣で、その当時の名は「天の叢雲(あめのむらくも)といった。
これが現在の「草薙の剣」の名前となったのは、後々の世代となって、倭建命(ヤマトタケルノミコト)が関東征伐の途中で、対抗勢力であった駿河国(現在の静岡県)の国つ神の放った野火を消すために、妻の弟橘姫(おとたちばなひめ)が持ってきた「天の叢雲」で、燃えるような「草を薙ぎ払った」ことからである。
蛇足であるが、この「草薙の剣」は、「天の叢雲」と共に二つの某超有名ロールプレイングゲームのアイテムとしても有名であるので、知っている人も多い(だろう、たぶん・・・)。

「八尺の勾玉」
の由来に関しては、記紀にも詳しい記述がない。


さあ、たいへん。
この世に二つの太陽は要りません
しかも、サルダヒコは自ら、伊勢に住むと名乗っています。
伊勢といえば、後に伊勢神宮が建てられるところじゃないですか。
太陽神同士の大戦争は避けられそうにない様相です。

ところが、ここでまた(岩戸前に引き続き←上記脚注参照天賣受女命(アメノウズメ)お得意のストリップを披露したのです。
これで骨抜きになった(?)サルダヒコ天孫を迎える先導を申し出る始末。
おまけに、ウズメに一緒に伊勢に来てくれ、と言います。

すると、天孫(もしくはアマテラスオオミカミ=太陽神)も大人(神)物、ウズメに向かい、「おまえがサルダヒコを呼び寄せたのだから、おまえの子孫にはサルの字をもらってサルメと付けなさい」と声をおかけになりました。
つまり、二柱の神の結婚を認めたのです。
ただし、生まれた子孫はウズメの方の一族だ、というサルダヒコにとってはありがたくない条件付きで
太陽神一家のマスオさん、とも呼ばれています)

こうしたことで、サルダヒコは二つの国(この場合、高天の原葦原中国、二つの世界の境界の神という性格を持つことになりました。また、天を巡る太陽神ですから、旅する神の性格も持ちます。

つまり、サルダヒコは、場合によっては境界線で睨みを利かす恐ろしい神にもなり(ボンゾがサルダヒコの名前を連呼するのはこちらのイメージでしょう)、みずから異種族と婚姻をしてしまう、仲介役の神にもなりうる(スズキはこちらの役割を期待しているとも考えられます)神なのです。

ちなみに、サルダヒコは伊勢の神である、と書きましたが、九州でもあちこちでサルダヒコが信仰を集めています。

たとえば、福岡県の古表神社では満潮の海に出て神を迎える春の神事があって、この時に海から最初に取れた石をサルダヒコと呼び、ご神体にするそうです。伊勢の伝承では、サルダヒコはウズメと子をなした後、海で貝に挟まれて死んだことになっています。海人の一族にとって、太陽とは海で生まれ、海で死ぬものと認識されていたのでしょう。

熊本県の長野阿蘇神社に伝わる神楽では、アメノウズメとサルダヒコが揃って舞います。

宮崎県の高千穂神楽
では、サルダヒコが彦舞を舞って、神楽の列を先導します。

鹿児島県の大隅半島はサルダヒコ信仰の中心地とも言える地域で、各地にサルダヒコを主神とする神社があります。

さて、では問題の長崎は?

島原半島には400点を超えるサルダヒコ、もしくは庚申塚(もともとは道教由来の庚申信仰ですが、後に青面金剛というサルの姿の神をまつるようになり、サルダヒコ信仰と習合しました)が400以上も散在するし、鼻ダコという(サルダヒコを真似た)鼻高面が先導するスミ付け祭りも存在します。

つまり、民俗的にも、長崎でサルダヒコが信仰されているのは不自然ではないのです。