神々の誰ぞ彼?〜日本編

第2幕で、キリスト教の神に祈りを捧げる蝶々夫人の横で、スズキが蝶々夫人のために日本の神々に祈るシーンがあります。
その神々というのは、「イザギ
(イザナギ)、イザナミ、サルンダシコ(サルダヒコ)とカミ(八百万の神)、そしてテンジョウダ(アマテラス)となっています。
私はずっとこの組み合わせは戯曲を書いた作家の知識の不足から来たものと思っていました。
最初の三柱の神々は記紀(古事記と日本書紀)では有名ですが、日本で広く信仰されている神様であるとは思わなかったからです。

しかし、最近になって、この三柱の神々に共通点があることに気が付きました。
それは、三柱とも、互いに解け合わない異世界との境界にたつ神なのです。
この三柱がどのようにして戯曲の中に取り入れられたか、その過程は残念ながら知りません(原作となったロングの小説や、ベラスコによる演劇の戯曲には見られません)が、ストーリーの進行上、意図して選ばれた神々であると考えて、以下に考察してみたいと思います。

1.イザナギ(伊邪那伎大神)、イザナミ(伊邪那美大神)

この二柱の神々は、天地開闢(かいびゃく)以来初めての、男女の性別を持つ神々でした。
つまり、この世の中に初めて相対立する存在、原理が生まれたのです。言い換えると、生まれながらにして異世界を持つ神々であったといえます。

二柱の神は、潮をかき回してオノコロ島を作ると、そこで天地開闢以来初めての男女の交わりを果たし、日本の国土を始めとする神々をどんどんと生み出していきます。
しかし、カグツチ(火の神)を生んだとき、性器に火傷を負い、イザナミの尊は息を引き取り、地の底の黄泉
(よみ)の国へと下っていきます。
つまりは、天地開闢以来、はじめて引き裂かれた夫婦

妻のことが忘れられないイザナギの尊は、この世から黄泉の国(あの世)に下っていき、イザナミの尊に遭おうとします。
しかし、イザナミの尊は、もう黄泉の国の食べ物を食べてしまったので、この国の者になってしまった、戻れない、と取り合いません。なおも重ねて出てきてくれと頼むと、少し待って下さい、ただし中を覗かないで欲しい、との返事。

ところがところが、待てど暮らせど音沙汰なし。
たまりかねたイザナギの尊は、とうとう中を覗いてしまいます。そこで見たのは、変わり果てた妻の姿でした。
腐り、崩れて、体にはウジがわくようにおぞましい雷神が取り巻いています。

「覗かないで欲しいと頼んだのに、なぜ覗いた!」
イザナミの尊は部下
(黄泉醜女(よもつしこめ):たぶん、黄泉に来てから産んだ子供なのでしょう)に命じてイザナギの尊を捕らえようとします。
逃げ出すイザナギの尊。

何度か捕まりそうになるイザナギの尊ですが、そのたびに身につけている物を後に投げると、それが姿を変えて窮地を救います。
その後、とうとうイザナミの尊自身が追ってきます
(相当なスプリンターだったようです)
イザナギの尊は、ちょうど黄泉比良坂
(よもつひらさか:この世とあの世の境)まで逃げてきていました
そこで、イザナギの尊はそこに千引の岩
(ちびきのいわ:千人掛かりでやっと引っ張れるという巨大な岩)を置いて、二つの世界を隔ててしまいました

「あなたがそういうつもりなら、そちらの国の人間を、一日1000人ずつ殺して、こちらにつれてきてやる!」
イザナミの尊が呪いの言葉をかけると、
「それならこちらは、一日に1500人ずつの人間が生まれるようにしてやる」
と応酬するイザナギの尊。
これぞ、天地開闢以来初めての夫婦喧嘩
すんでの所で夫が勝ちを収めたため、この世に人が増え始めた、という話です。

「蝶々夫人」の中でスズキは、「蝶々さんが、これ以上泣かなくて済むように」と祈っています。
しかし、スズキはピンカートンが帰ってくることはあり得ないと悟っています
あるいはスズキは無意識のうちで、死が二人を完全に分かつまで、蝶々夫人の心の平安は訪れないと悟っていたのかもしれません。