(C) 関西シティフィルハーモニー交響楽団
(アマチュアオーケストラ,大阪市)

歌劇「ナブッコ」

−その1:オペラの概要−


オペラ「ナブッコ」について>


旧約聖書の「バビロン捕囚」をテーマにした「愛国」オペラ
 

1844年(「ナブッコ」初演から2年後)のヴェルディの肖像画
<作曲者> 
ジュゼッペ・ヴェルディ
(1813-1901)

−「行けわが思いよ、金色の翼に乗って」−
イタリア愛国者の祖国への思いを乗せた「郷愁の歌」

「行けわが思いよ、金色の翼に乗って・・・
行くのだ、おまえは山に丘に憩いを求め・・・
そこでは、暖かく柔らかい
祖国の大地の甘いそよ風が
薫っているのだ!」

(始めの歌詞の日本語訳)

全ての歌詞合唱の紹介ページにあります。

作曲者ジュゼッペ・ヴェルディの紹介でも触れましたが、このオペラ「ナブッコ」は、数多くのオペラを作曲したヴェルディにとっても、数多くのオペラを知るイタリアの民衆にとっても忘れられない作品です。
(作曲の経緯については、ヴェルディの紹介ページに記載しています。)
ここでは、前項では触れなかったオペラ「ナブッコ」のストーリーと、その背景となった史実であり、旧約聖書にも出てくる「バビロン捕囚」について触れておきたいと思います。
 

(オペラの背景−「バビロン捕囚」について)

このオペラ「ナブッコ」のストーリーを理解するには、このオペラの主軸をなす史実である「バビロン捕囚」を知っておく必要があります。
「バビロン捕囚」は、西洋人の大半を占めるキリスト教徒にとっては「常識」でありますが、日本人にはあまり馴染みのないことですので、ここで簡単に説明します。

(ちなみに、一般的なオペラでありがちな「若い男女の禁断の恋愛」もストーリーの中にはあるのですが、はっきり言いまして主軸をなす「バビロン捕囚」に比べれば「おまけ」程度のものです。)

「バビロン捕囚」とは、紀元前597年から586年にかけて、当時の中東の列強国であった新バビロニア王国により、ほとんどのイスラエル人が捕虜または奴隷として 首都バビロンへ強制連行されたことです。
 

−古代イスラエル王国の繁栄と衰退−
紀元前1000年前後〜紀元前722年まで

紀元前1000年前後、12部族からなるイスラエル人がおさめる古代イスラエル王国(領土は現在のイスラエルとほぼ同じで首都も同じエルサレム)は、ダビデ王とその跡を継いだソロモン王の元で繁栄を極め、名だたる列強国の一員となっていましたが、その後は王家の内紛から北部の「北イスラエル王国」と 南部の「南ユダ王国」に分裂し、衰退の一途をたどります。
(内紛や暴政、暗殺など、衰退の原因となった一連の出来事は、旧約聖書の「列王記」にこれでもかといわんばかりに克明かつ悲惨に描かれています。)

そうして、内部の衰退に輪をかけて、エジプトやアッシリアなどの外部列強国からの圧力が増し、これらの国々から度々侵略を受けるようになると、貢ぎ物や同盟などで何とか延命を図ろうとします。
 

−古代イスラエル王国の滅亡とバビロン捕囚−
紀元前722年前後〜紀元前586年まで

しかし、これも長続きせず、ついには紀元前722年に北イスラエル王国がアッシリアの侵略を受けてあえなく滅亡しそこに住んでいたほとんどのイスラエル人を奴隷として連行しました。
(その時南ユダ王国はアッシリアの属州となることで難を逃れています。)
そして、北イスラエル王国のイスラエル人は、アッシリアの容赦ない民族分散政策
(=民族抹殺)によりアッシリア内で散り散りとなり、民族としてのアイデンティティを完全に喪失させられました。


(アッシリア兵による異民族エラム人の連行:紀元前7世紀頃)
アッシリアは現在のイラク、トルコ、シリア、レバノン、ヨルダン、さらにはエジプトすら
その領土に含めた広大な「世界帝国」で、その権力は絶大なものとなっていました。
ただ、広大な領土と絶大な権力を維持するには、アッシリア国民の兵役だけでなく、
被征服民による再団結や反乱の防止のための移住や労働力確保が必須でした。
特に被征服民の中でも少数派であった北イスラエル王国のイスラエル人は、
10の小部族から構成されていたこともあり、アッシリア内の各地に分散移住
させられて更に細分化され、ついには民族・部族として消滅してしまったのです。

その後、アッシリアは併合した民族や国家の反乱によって衰退し、ついに紀元前612年で滅亡しますが、それに代わって、バビロン(現在のイラク中部の都市)を首都とする新バビロニア王国が頭角を現します。
(ちなみに、アッシリアが建国される以前にもバビロニアという国は存在していたため、アッシリア滅亡以後のバビロニアという意味で「新バビロニア王国」という名前になっています。)

新バビロニア王国の王ネブカドネザル2世
(ネブカドネツァル)は、紀元前597年に南ユダ王国の首都エルサレムに侵攻し、一部のイスラエル人有力者を連行したのを手始めに、次々とイスラエル人を連行し、ついには紀元前586年エルサレムを破壊して南ユダ王国を滅亡させ、そこに住んでいたイスラエル人(後に「ユダヤ人」と呼ばれる人々)のほとんどを奴隷として、首都バビロンへ連行しました
ただ、このときはアッシリアのように分散政策までは取られなかったために、イスラエルの人々は何とか民族としてのアイデンティティを失うことなく、細々ながら存続することが出来ました。
 

−バビロン捕囚の終わり−
捕囚期間(紀元前586年前後〜紀元前537年)とそれ以降

この後、イスラエル人は祖国から遠く離れたバビロニアの地で約50年の長く辛い奴隷生活に陥りますが、 その地で人々は自分たちの宗教(後のユダヤ教)や伝統教育の維持・強化など、後のユダヤ人としてのアイデンティティ確立に向けた動きを着々と進めてきました。
そして、紀元前537年新バビロニア王国を滅ぼしたペルシア帝国
(アケメネス朝)皇帝キュロス2世(大キュロス)の寛大政策によって、段階的に祖国イスラエルの地に帰還できるようになりました
その後、彼らはユダヤ人として、エルサレムの復興や教典
(キリスト教で言う「旧約聖書」)の編纂、シナゴーグ(ユダヤ教教会)の再建など、イスラエルの復活に向けた活動を始めます。

 

(オペラ「ナブッコ」と「バビロン捕囚」)

オペラ「ナブッコ」(最初は「ナブコドノゾル」と称していた)は、「ナブッコ」こと新バビロニア王ネブカドネザル2世が紀元前586年にエルサレムに侵攻することから始まります。
ナブッコ王はオペラの第1幕
(最初の幕)エルサレムに侵攻して、王宮やソロモン神殿(ソロモン王が建設した豪華絢爛な神殿)を破壊し、人々を首都バビロンへと強制連行しますが、史実に基づいているのはここまでで、以降のストーリーは旧約聖書の記述やオペラ上の創作部分となっています。

特に、ナブッコ王の2人の娘やその回りで起こった出来事
(恋愛、策略など)王自身の改心とエホヴァ(ユダヤ教の神ヤハウエ)への帰依イスラエル人への帰還の許しに至っては、オペラを面白くするための脚色で、史実と全くの逆の設定となっています。

このような有名な史実や神話・寓話の改ざんや勝手な脚色は、オペラでは当然のこととして行われてきました。
ですので、本来「ナブッコ」「ネブカドネザル2世」をモデルとした架空の人物とするのが正解なのでしょう。

 

文・構成: 岩田 倫和(チェロ)

2005.11.6作成

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