(C) 関西シティフィルハーモニー交響楽団
(アマチュアオーケストラ,大阪市)

メンデルスゾーン
交響曲第3番「スコットランド」

−曲の概要(その5)−


交響曲第3番「
スコットランド」の楽章解説>

1829年イギリス訪問時のメンデルスゾーン
<作曲者>
フェリックス・
メンデルスゾーン
(独:1809-1847)

−国花アザミに託したスコットランドへの思い−
アザミと祖国に拘った近代の詩人、ヒュー・マックディアミッド

アザミは頭をもたげて、果てしなく欲望し、幾世代もそのもとに集約する。これは全ての世代が、かつて存在し、希望し、おどろいた全ての記念碑なのだ。
                          ・・・・・
無限を知ることのできない者は、スコットランドを知ることはできない。
スコットランドは、本当の尺度において無限なのだ。


(マックディアミッドの詩集「酔人、アザミを見る」より)


(はじめに)
−「交響曲第3番」は「5番目」に完成した交響曲−

  メンデルスゾーンの交響曲は一般的には5曲であるとされるが、それらは完成した順にではな楽譜が出版された順に番号を与えられ、今日なおそれが慣例的に受け継がれているため、たとえば「スコットランド」であれば、それはメンデルスゾーンが3番目に書き上げた交響曲であると誤解されがちである。

 実際にはメンデルスゾーンは、1824年に完成させた「第1番」以降、’32年に「宗教改革」のニックネームで親しまれている”第5番”を、’33年に”第4番”「イタリア」を、’41年に「賛歌」と呼ばれることもある”第2番”を、そして’42年に「スコットランド」を書き上げているのだから、「スコットランド」は本来ならば”第5番”と呼ばれるべき作品なのだ。

 またメンデルスゾーンは、12歳だった’21年から、その2年後の’23年にかけて弦楽器だけで編成された小規模なオーケストラのための交響曲を12曲
(別の考え方では13曲)作曲した。
これらは今日では「弦楽のための交響曲」とか「シンフォニア」などと呼ばれ、管楽器やティンパニを含んだ大型オーケストラのための「第1番」以後の曲とは区別して扱われる。
 

(第1楽章)
−哀愁の序奏と勇猛な主題が織りなす”栄枯盛衰”−

 この交響曲の第1楽章には、最初に遅いテンポの序奏が置かれているが、そこで聴かれる哀調のにじむ旋律こそは、彼が1829年7月にスコットランドのホリルード宮殿内の、廃墟と化した古い教会堂に立ったとき、瞬時にひらめいたという旋律である。

第1楽章 序奏の最初の旋律
(MP3形式の音楽データ:約450KB)

虚脱感、無力感にも似た情緒を漂わせるこれを「メンデルスゾーンの『荒城の月』だといった人がいる。
件の廃墟に立ったメンデルスゾーンの胸中をよぎったのも「栄枯は移る世の姿」「昔の光いまいずこ」といった感慨であったか。

 そして交響曲の冒頭に遅いテンポの部分をおくというのは、近代交響曲の開祖とも呼ぶべきハイドン、モーツァルトらが常套とした手法である。古い時代の楽聖たちの作品を自らの創作の模範としたメンデルスゾーンの姿勢はこんなところにも現れている。

 序奏部分の音楽が一段落すると、宮廷舞踊を思わせる優雅ながら暗い旋律が、控えめに上品に揺れはじめる。
この交響曲の第1楽章もまた、古来の交響曲の定石に従い、「ソナタ形式」なる様式に則って書かれているのだが、この旋律はその「第1主題」この楽章の音楽を形造る主柱ともいうべき重要な主旋律だ。

 これが馬にまたがった騎士の行軍を連想させる勇壮な音楽につながり、そしてそれも鎮まったのち、クラリネットが戦乱の世に疑問を投げかけているような、落ち着いた冷静な雰囲気のメロディを吹く。こちらが「第1主題」と並ぶこの楽章のもうひとつの重要な柱、「第2主題」である。

 これら「主題」を紹介することを主な目的とする、ここまでの部分「提示部」が、ヴァイオリンのすがりつくような、たおやかなメロディーによって閉じられると、前へ進むことをためらっているような、管楽器と弦楽器の重々しい和音が響いてくる。
ここからの部分が、すでに登場した二つの主題をさまざまに変貌させ、千変万化の音楽を引き出す「展開部」であり、さらにそのあとには、例の宮廷舞踊風の「第1主題」が、その最初の姿さながらに再登場してくる「再現部」へと移る。

慎ましやかなこの曲でははじめて耳にする、吹き荒れる暴風雨のような激しい性格の音楽をへて、ついには序奏部の、あの遅いテンポの旋律へと回帰し、楽章は閉じられる。
 

1746年カロドゥン・ミュラでイングランド軍と戦うハイランドの戦士たち

<1746年 スコットランド高地戦士(ハイランダー)最期の戦い>

この「スコットランド」交響曲の第1楽章には、上の絵(左側)のように、優雅な民族衣装(タータンとキルト)を身につけたハイランダー達の悲愴な歴史と血気溢れる勇猛果敢さが見事に「音画」として描かれているようにも感じられる。

これまでお互いに争っていたイングランドとスコットランドの両国は、1707年に「グレートブリテン」として一つの連合王国となったが、その実態は「イングランドによるスコットランド支配」に等しい不平等な形の「連合」であった。(イングランドとスコットランドの人口比が5対1に対し、連合議会の議席数比が11対1と圧倒的にイングランド優勢であった。)

また、文化や言語の面でスコットランド人を見下すことが多かったイングランド人の横柄さもあって、特にスコットランドの中でも独特の文化と言語(ゲール語)を保持してきたハイランド地方の人々の間には不満が鬱積していった。(ロウランド地方はこの頃にはかなりイングランド化して、親イングランド的な姿勢であった。)

そういう状況下で、1745年に父の王位奪回に燃えるチャールズ王子(1720-88)の蜂起が起こり、それに呼応する形で数千人の勇猛なハイランド地方の戦士(ハイランダー)が集結し、イングランドの首都ロンドンを目指し、怒濤の侵攻を開始した。その侵攻は破竹の勢いで進み、蜂起軍はロンドンの北200kmまで進撃した。
しかし、怒濤の勢いはそこまでで、後は圧倒的な武力を持つイングランド軍とそれに味方するロウランド地方の氏族連合軍の挟み撃ちに合い、敗退に敗退を重ねた。
そして、1746年4月16日、スコットランド北東部海岸近くのカロドゥン・ミュアで、ついにハイランダー達は文字通り「背水の陣」となり、 (上の絵の右側の)イングランド軍の圧倒的な武力による凄惨な掃討戦の末に壊滅した。

上の絵のように、ハイランダー団結の証である衣装タータンとキルト(スカート)を身につけ、勇猛果敢に戦った彼らであったが、この戦いで二度と組織的な戦闘ができないほどに徹底的に壊滅させられたばかりか、 連合王国による文化根絶策として、誇り高きその装束の着用すら民族楽器バグパイプの演奏やクラン姓(スコットランド特有の氏族姓)と共に、1782年まで完全に禁止されてしまった。


(第2楽章)
−軽妙な旋律と速いテンポが主の「諧謔的」楽章−

 第1楽章第2楽章を区切るのは、ごく短い、一呼吸ほどの間でしかない。そしてこの部分のみならず、この曲すべての楽章と楽章の境もまた同様のつくりとなっている。
これ以前の古い時代の交響曲が演奏されるときには、あたかもひとつの曲が終わったかのような長い空白を置いた後、次の楽章へ移るのが通例であったが、そうしたことによって音楽の緊張感が陥没してしまうことをメンデルスゾーンは嫌った。
彼自身「それは私が乗り回す木馬ですから、個々の曲(=楽章)の間の休止は・・・・やめなければなりません」と手紙に書いている。
気が済むまで乗り続けてこその木馬遊びで、たびたび降りていてはつまらない、という意味なのだろう。

 弦楽器が快いそよ風のように吹き抜け、木管楽器がその心地よさに思わず快哉を叫べば、短い間しかなくとも、音楽の気分は一瞬にして新しい楽章のそれに塗り替えられてしまう。

 開始早々にクラリネットが、田舎を旅している人が楽しさのあまりについ吹いた口笛の歌のような楽しい歌を歌う。
これは通常の「ドレミファソラシド」の7つの音でなく、そこから「ソ」と「シ」の音を抜いた「五音音階」を材料として作られている。
そしてそのことはスコットランドの伝統楽器「バグパイプ」で演奏される音楽と共通している。独特の鄙びた楽しさはそうしたことに由来するのか。

 この歌が一息ついたころ、かつかつと短く切った音で、やや皮肉っぽい感じで進んでいく別の旋律を弦楽器が弾くが、以上の二つがこの楽章の一番大事な主旋律
そしてそれらの背後では、一瞬も腰を落ち着けることのない、疾走しているかのようなパターンが絶えず鳴り続け、風に吹かれてざわめく草木のような雰囲気が生み出されていく。
 

(第3楽章)
−翳りある「まどろみ」と重苦しい「巡礼」が折り重なった楽章−

 楽しいながらも落ち着きのない、第2楽章の音楽の余韻から抜け出るためであろうか、第3楽章は最初に独特の翳りを宿した音楽を置く。
やがて登場してくる旋律は、幸福な夢を見つつまどろんでいるかのような、安穏とした表情をたたえているが、しばらくのちには、厳しい戒律とともに旅をしている巡礼者の足どりを想わせる、遅く重いマーチ調の音楽が出現しそれにとってかわる。
もっともつづいてのくだりでは「幸福な夢」の旋律もその流れに加わり、両者は歩調を揃えて音楽を作っていく。ただどちらかというと「巡礼者」の方が前面に立ちがちで、音楽の色調からもなかなか厳しさ、重さが抜けない。
だが楽章が終わりに近づくにつれ、「巡礼者」も次第に退いてゆき、最初に見ていた「幸福な夢」が戻ってくる。
 

(第4楽章)
−悲愴感と焦りの果てしなき展開、その果てに広がる爽快な終結−

 標的に矢がつきささるときのそれにも似た禍々しい音で第3楽章のまどろみは破られ、第4楽章の火蓋がきっておとされる。
中音域を担当する楽器が鳴らす、早足で進む人や馬の息遣いを思わせるリズムと、それにあわせて演奏される、興奮した人の上ずった早口のようなヴァイオリンが、瞬く間にこの楽章の騒然とした雰囲気をつくりあげる
ヴァイオリンが弾くこの音楽は、この楽章の2つある主旋律の1つで、もう一方の第2の主旋律は、曲がさらに前に進み、いくぶん鎮静化してきたときにオーボエとクラリネットによって示される。こちらには第1の主旋律が持っているような不穏な感じはなく、争うことをやめられない人間の愚かさを、一歩退いた視点から悲しみつつ見守っているような色合いがある。

 この楽章は以上の2つの主旋律のほかに、いずれも悲愴感を帯びた、不安定な印象を与えるいくつかの合いの手的なパターンを主な素材として――意地悪く言うならばいつ果てるともなく延々と――展開されてゆく。
音楽自身が出口を見出したような表情を見せる瞬間はいっこうに訪れず、果たしてこの曲はどちらに向かって進んでいるのか、と聴き手までもが途方に暮れはじめたころ、音楽もまた疲労困憊したかのように消沈してゆく。

 そこに登場してくるのが、少々唐突な印象を与えないでもない、朗々として晴れやかな終結の音楽だ。
吹き荒れた嵐の後の青空がことのほか高くさわやかに感じられ、ついさきほどまでの暴風雨の恐怖を忘れさせるのにも似て、それまでのこの楽章の音楽の陰惨な印象は聴き手の心の中から一掃される。
あるいは、この輝かしさは、12年にも及んだこの曲の作曲にようやくピリオドを打つに至った、メンデルスゾーン自身の感慨でもあったか。

 なおメンデルスゾーンは、この曲の楽譜が出版される直前の1843年1月、出版社にあてて書いた手紙の中で、各楽章の音楽のより具体的なイメージを聴く人に伝えるため、いくつかの言葉を楽譜の冒頭に記してほしい、とし、この第4楽章のためのそれとしては、“Allegro guerriero und finale maestoso”なる文言を指定している。
guerriero
とは「戦争の」「好戦的な」「勇敢な」という意味のイタリア語であるから、その言葉に従うならば 、この楽章の音楽は「戦争のありあさまや兵士たちの勇敢さにちなんだ」ものというふうにも理解できる。
もっともそれらの語はその後何らかの理由で削除され、現在一般的に用いられるこの曲の楽譜には表記されていない。

19世紀のスコットランドでのカーリングの写真

スコットランドの国技、カーリング−元祖”氷上の格闘技”>

上の写真は、メンデルスゾーンが訪英を繰り返していた19世紀頃のスコットランドでのカーリング競技を撮影したものである。この時代には、 カーリングの競技協会やクラブチームも結成されており、スコットランド国技としてほぼ完成されていたので、メンデルスゾーン自身もこの競技を目の当たりにしていたかもしれない。
現代でこそ、カーリングはトリノオリンピックで は女子が有名になるほど「男女共通のスポーツ」として定着したが、この頃のカーリングは男臭い「氷上の格闘技」であった。

カーリングの起源は前の記事で述べたとおり、スコットランドに居住していたヴァイキングら先住民達が、自分たちの武器であった石器を凍った湖面で滑らせていた「遊び」であるが、もともとスコットランド西岸(ヘブリディーズ諸島付近)には、武器やカーリング遊びに格好な、堅くて角の取れた丸石が多く存在していた。
そんな堅くてなめらかな石が近くにゴロゴロしていたら、怒りにまかせて敵の頭に叩きつけてみたり、遊びで氷上に滑らせてみたくなるのが、蛮勇を振るう彼らの本能であろう。

そして、これらの「遊び」は、いつしか石同士をぶつけ合って、得点を争うための「競技」に変わっていった。特に18世紀になって国家間の大規模な武力闘争が少なくなってからは、先祖代々スコットランド人の奥底に眠る「闘争心」を発露させる場としてカーリングがますます重視され、ついには「氷上の格闘技」として国技になるまで発展させ、その後多くの人々の尽力を経て、国際競技となるまで進化を遂げた。

「スコットランド」交響曲の第4楽章には、まるでカーリングの複数の石(ストーン)が重々しい音を立ててお互いを弾くような「ダダン!」という音形や、スウィーピング(動いているストーンの前を横切ってブラシを動かす動作)を思わせるような細かな切分音形が多く見られる。これらは単なる偶然であろうか?


(「スコットランド」交響曲の日本初演)
−一人のドイツ人によってもたらされた「スコッチの響き」−

 この曲の日本初演は、1900(明治33)年12月8日アウグスト・ユンケル指揮の東京音楽学校管弦楽団によって実現した。ただしこのとき演奏されたのは第1楽章のみである。
 この曲はハイドンの「告別交響曲」、ベートーヴェンの第1交響曲、シューベルトの「未完成交響曲」などとともに、日本初演の日時の最も早い楽曲のひとつに数えられる。
これらの曲が明治期の日本にいちはやく紹介された背後には、徳川幕府消滅後に成立した明治新政府が法律、官僚制度、軍制、医学、教育、芸術などの諸分野で、その模範を主にドイツ・オーストリア圏に求め、そしてその専門家たちを多く日本に招き、日本人の指導にあたらせた、ということがあろう。
 初演の指揮をとったアウグスト・ユンケルもまたドイツの生まれ。
大ヴァイオリニスト、ヨーゼフ・ヨアヒムに師事し、若くしてヴァイオリニストとしてデビュー、1899
(明治32)年に来日して東京音楽学校(現在の東京芸術大学音楽学部)の教員となり、ヴァイオリン演奏、オーケストラ合奏などを指導した。
その後、一時期帰独したもののやがて再来日、1944
(昭和19)年に74歳で亡くなるまで終生日本にとどまり、音楽教育に情熱を傾けた。


<参考文献および写真・絵画出典>

・三代のユダヤ人 メンデルスゾーン家の人々 
  ハーバート・クッファーバーグ著 横溝亮一訳 東京創元社

・メンデルスゾーン
  ハンス・クリストフ・ヴォルプス著 尾山真弓訳 音楽之友社

・メンデルスゾーンの《交響曲第3番イ短調》の楽譜資料――その全貌と成立史再考――
  星野宏美著 (「転換期の音楽」編集委員会編「転換期の音楽――新世紀の音楽学フォーラム」に所収) 
  音楽之友社

・華麗な才能の系譜 メンデルスゾーンとその一族
  横溝亮一著 (小柳玲子企画・編「メンデルスゾーン」に所収) 岩崎美術社

・ニューグローヴ世界音楽大事典・第18巻
  柴田南雄、遠山一行監修 講談社

・最新名曲解説全集・第2巻 音楽之友社

・メンデルスゾーン 交響曲第3番イ短調作品56『スコットランド』(小型スコア)
  星野弘解説 全音楽譜出版社

・大作曲家の世界3 音楽之友社

・クラシック音楽史大系5 パンコンサーツ

・スコットランド王国史話 森 護著 大修館書店

・スコットランド 石と水の国 横川善正著 岩波書店

・図説「英国史」 石川敏男訳・著 ニューカレントインターナショナル

 

文: 上柿 泰平(パーカッション)
構成・一部補筆: 岩田 倫和(チェロ)

2006.3.17作成

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