(C) 関西シティフィルハーモニー交響楽団
(アマチュアオーケストラ,大阪市)

イッポリトフ=イヴァノフ・
組曲「コーカサスの風景」


−曲の概要(その1)−



組曲「コーカサスの風景」 作曲の沿革>

ミハイル・ミハイロビッチ・イッポリトフ=イワノフの写真
<作曲者>
イッポリトフ=イヴァノフ
(露:1859-1935)

−作曲者が目の当たりにした「コーカサスの風景」−

を越えて最初の駅馬車停留所であるムレタの特異な光景は、20年後に作曲された「コーカサスの風景」の第二楽章(村にて)へのヒントを与えたのである。小屋の屋根の上で二人のグルジア人、年寄りと青年がタールドゥドゥクでバヤタ(即興曲)を演奏していた。彼等は互いに音楽の会話を交していた。この即興演奏の途中に一人の踊り子が屋根に現われると、二人はすぐに舞踊の主題を演奏した。』
(イッポリトフ=イヴァノフの自叙伝より)

↑上記の文中のリンクから、それぞれの言葉の解説ページへ飛びます。


(イッポリトフ=イヴァノフとコーカサス地方)

ロシアを代表する大作曲家チャイコフスキーとはペテルブルグ音楽院の後輩で、19世紀末から20世紀前半の四半世紀以上にわたってロシア(とその後のソビエト連邦)音楽界の重鎮として君臨し、チャイコフスキー亡き後のロシア音楽に貢献し続けたミハイル・イッポリトフ=イヴァノフは、1859年11月19日ガッチナ(ロシア随一の大都市サンクトペテルブルグの南方にある小さな地方都市)で生まれました

ニコライ・アンドレイェヴィチ・リムスキー=コルサコフの写真
<イヴァノフの師>
リムスキー=コルサコフ
(露:1844-1908)

彼はチャイコフスキーも学んだ名門ペテルブルグ音楽院で音楽教育を受け、そこで当時屈指の管弦楽法の大家であり、現代にもその名を残すロシア国民楽派の大作曲家ニコライ・リムスキー=コルサコフに師事します。

イヴァノフが学生としてリムスキー=コルサコフに学んでいた当時、ロシア民族の音楽伝統
(古来から受け継がれている民謡や舞曲など)に基づいた音楽の作曲が行われており、リムスキー=コルサコフはその急先鋒であった「ロシア5人組」( バラキレフ、キュイ、ムソルグスキー、ボロディン、リムスキー=コルサコフの5人のロシア国民楽派作曲家)の一人であったため、その弟子であったイヴァノフもロシア国民楽派の影響を強く受けました

これが、イヴァノフが帝政時代の終焉
(1917年のロシア10月革命)を挟んだ激動の時代を経てもなお、死ぬまで頑なに続けてきたロシア伝統音楽に対する保守思想の原点となったのです。



1882年にペテルブルグ音楽院を卒業した彼は、コーカサス地方のグルジアの中心地ティフリス(現:トビリシ)にある(コーカサス音楽協会が1871年に設立した)音楽学校の校長として赴任するべく、ペテルブルクの遙か南にあるコーカサス地方を訪れたのです

この旅程の途中で見た光景・・・コーカサス山脈やその周りの広大な風景、ロシア人とは違った風貌や気質のコーカサスの諸民族の出で立ちは、彼を大いに魅了させました。
(その様子は上記の自叙伝にも一部書かれています。)

これが、イッポリトフ=イヴァノフが大いに感銘し、生涯にわたって影響を受け続けてきたコーカサス地方との運命的な出会いの始まりでした。

1882年から1893年までのティフリス音楽学校の校長時代の彼は、精力的な活動でグルジアの音楽教育の興隆に貢献しただけでなく、自身もコーカサスに息づくヨーロッパ、アジア、イスラム文化の入り交じった不思議な魅力を持つ音楽や舞曲にとりつかれて、それらのメロディやリズムを積極的に取り入れつつ、楽曲やオペラなど自身の音楽作品へと次々に昇華させていきました。

コーカサスの雄大な眺望の一つ、カイシャウル峡谷の写真
(コーカサス山脈にある峡谷の風景)


1893年になって、彼は首都モスクワの音楽院の教授として、再びロシア本土へ戻ることとなりましたが、「第二の故郷」となったコーカサスへの郷愁は捨てがたく、翌年の1894年にその思いを昇華させるような4つの小曲からなる一つの組曲を作曲します。

・・・それが、彼の
(唯一と言っていいほどの)代表作であり、今回演奏する組曲「コーカサスの風景」(作品10)です
(↑上の曲名のリンクをクリックすると、各曲詳細の紹介ページに移ります。)


<組曲「コーカサスの風景」作曲後のイッポリトフ=イヴァノフ>

1894年からモスクワ音楽院教授として、1917年の激動のロシア10月革命を経て1919年〜1922年は音楽院長として、首都モスクワで音楽教育(音楽理論、作曲、オペラの講座を担当)に大いに貢献しつつ作曲活動を引き続き行っていました。しかも、音楽教育以外にもモスクワ合唱団やボリジョイ劇場の指揮者も務めるなど八面六臂(はちめんろっぴ)の大活躍ぶりだったのです。

その後、1924年になって、彼はティフリス音楽院再建の監督業務のため、再び翌年の1925年まで「第二の故郷」コーカサスに滞在することができました。

彼は1917年の革命で帝政ロシアからソヴィエト社会主義連邦共和国になった後には、ソヴィエト共産党の指導者達に迎合する作品を書くようになったものの
(でないと糾弾されて音楽界から追放の憂き目にあうのは確実だった)、彼が師リムスキー=コルサコフから学び取り、コーカサス地方で培ってきたオリエンタリズム(東洋趣味)あふれる民謡的な作風をあまり崩すことなく、社会の激動にも揺るがない自分のロシアの民族伝統に基づいた作曲スタイルを生涯守り続けてきたのです。

 

 

(組曲の舞台「コーカサス地方」について)

ユーラシア大陸西部におけるコーカサス地方の位置
(コーカサス地方の位置)
地図内の赤丸枠部分がコーカサス地方


コーカサス地方近辺の地図
(コーカサス地方近辺の地図)
()内の地名は、正式な独立国家ではない地方自治領域または民族集団を指す。
現在の国家名・地名横の(旧:〜)は、作曲当時(19世紀末)の名称。

 

<コーカサス地方の位置>

コーカサス地方は、上の地図のように、黒海とカスピ海に挟まれたコーカサス山脈を中心とした周辺国ないし地域の名称です。

<「コーカサス」の名の由来>

「コーカサス」はロシア語では「カフカス」とも言われていますが、その由来は古代スキタイ語(紀元前7〜8世紀頃に中国大陸から移動してきたと言われる古代遊牧騎馬民族スキタイ族 の言語)「白い雪」を意味する言葉「クロウカシス」がギリシア語で「コーカサス」に転じたという説があります。
(ちなみに古代ギリシアは神話にもその地名が出てくるほど、コーカサスと深い関わりを持っていました。
(例:人類に神の火を与えた巨神プロメテウスが神罰を受けた場所、イアソンと黄金の羊毛を巡る伝説とメディア(情報媒体)の語源で有名な魔女メディアの出身地

<コーカサス地方の風土>

語源となった「白い雪」が示すとおり、コーカサス山脈はヒマラヤやアルプスに匹敵する標高5,000m級の山々が軒を連ねてそびえ立ち、その周辺の豊かな土壌に培われた緑と相まって、見事な景観を造り出しています
イッポリトフ=イヴァノフをはじめ、コーカサス地方の景色に感動した芸術家は数知れず、最も有名なところでは19世紀ロシアの大詩人プーシキンや画家レールモントフ、作曲家ではかのチャイコフスキーも1887年頃にこの地を訪れて多大な感銘を受けたと言われています。
(ちなみに、チャイコフスキーがコーカサス地方を訪れた時期は、ちょうどイヴァノフがティフリスにいた時期と合致します。もしかすると両名は現地で会っていたかもしれません。)

<コーカサス地方の農業と資源>

コーカサス地方の土壌は全体的に豊かで、茶やブドウ、綿花栽培などの農業や牧畜が盛んです。
また、コーカサス山脈を中心とした鉱業資源も豊富で、アゼルバイジャンのバクー油田や最近発見された金鉱山ロシア・チェチェン共和国のグロズヌイ油田、コーカサス地方の広範囲にまたがるポテンシャル
(潜在的埋蔵量)の高い銅鉱山グルジアのマンガン鉱山アルメニアのモリブデン鉱山など、現在も欧米各国や日本が貴重な工業資源の供給先として注目しています。

<コーカサス地方の国家と民族>

コーカサス地方の独立国家には、グルジア(現地出身の力士「黒海」や、歴史あるグルジア・ワインなどで有名)アルメニア(キリスト教の一派アルメニア正教の総本山で有名)アゼルバイジャン(カスピ海に面し、世界随一の大油田都市バクーがある)の3国があります。
また、
(国際的に認められた)独立はしていないものの、独特の民族習慣や言語を持つ民族集団が多数(特にロシア国内に)存在しており「民族のるつぼ」の様相を呈しています。


<コーカサス地方の音楽と舞曲>

コーカサス地方の音楽は、古来から民族的にも文化的にもヨーロッパ、ペルシア、トルコ(イスラム圏)から多大な影響を受けた(と同時に度々大規模な侵略も受けた)せいもあって、これらの音楽が渾然一体となった独特の音楽文化を受け持っています
中でも古代より(文化交流の基盤となる)王制国家があったグルジアは、隣国アルメニアと同様に、ローマ帝国より約半世紀も早くキリスト教を国教と定めたせいもあって、キリスト教の賛美歌を中心とした聖歌音楽が盛んとなっていました。
が、その一方で、同じく隣接するトルコからのイスラム教に由来する宗教音楽や、ペルシア由来の東洋独特のエキゾチックな音楽文化の流入もありました。

それらの東西文化の渾然一体な指向が如実に表れたのが舞曲系の音楽で、特にコーカサス全域で広まっている民族舞踊レズギンカは有名です。
この舞曲は管弦楽曲にもいくつか取り入れられており、その中でもアルメニア出身の作曲家アラム・ハチャトリアンが作曲したバレエ舞曲「ガイーヌ」レズギンカ舞曲が特に有名です。

・・・以上のコーカサス地方の詳細については、後にまた触れようと思います。


参考および写真出典:
組曲「コーカサスの風景」総譜 (日本楽譜出版社)
大作曲家の世界4 (音楽之友社)
最新名曲解説全集5 管弦楽曲U (音楽之友社)
新音楽辞典 (音楽之友社)
クラシック音楽史大系11 (パンコンサーツ)
ロシア歴史地図 (東洋書林)
チェチェンで何が起こっているのか (高文研)
コーカサス ロシア文学揺らんの地を訪ねて (ナウカ)
ロシアのオリエンタリズム 民族迫害の思想と歴史 (柏書房)
シルクロード・ローマへの道11 騎馬・隊商の道 (日本放送出版協会)
民族の魂 グルジア、ウクライナの歌 (近代文藝社)
新アルメニア史 (泰流社)
平成13年度海外衛星画像解析調査報告書 (金属鉱業事業団)
共同通信社記者ハンドブック (共同通信社)

構成・文: 岩田倫和
(チェロ)

2004.5.30作成
2004.8.28一部補筆修正

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