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<盟友・大栗裕への作曲依頼>
朝比奈はこれらの「出題」を全て受け容れ、「新作」は自らのオーケストラ、関西交響楽団のホルン奏者であり、作曲家としても頭角を顕しつつあった大栗裕に書き下ろさせることとした。
<ベルリン・フィルとの初共演成功>
やがて実現した'56年5月25日の、朝比奈とベルリン・フィルとの初共演は、ドイツ語に堪能な日本人指揮者に楽員たちが親近感を抱いたことも手伝ってか、みごとな成功に終わる。当時のドイツで最も厳格、公平な大批評家とされていたシュトゥッケンシュミット(※4)でさえも、朝比奈がベートーヴェンで聴かせた構成力に、上々の賛辞を進呈したほどだった。のちに本人が「入学試験のようだった」と回想することになる、この記念すべき成功をきっかけとし、国際舞台での朝比奈の、東奔西走の大活躍が始まる。彼は世界楽壇への「入学試験」に合格を果たしたのだった。
<”東洋のバルトーク”大栗裕の幕開け>
そして大栗の新作『大阪俗謡による幻想曲』は、この日の舞台の幕開けを飾るべく、プログラムの最初に演奏された(※5)。曲にふんだんに盛り込まれた、作曲者のオケマンとしての発想は、ベルリン・フィルの楽員たちに、合奏の楽しさとして伝わっていたようで、彼らははじめての練習でこの曲の全曲を通して弾き終えるやいなや、一斉に歓声を上げたという。しかもそういった積極的な反応は、楽屋うちだけに限られず、ベルリンのある新聞は「不気味で非論理的なリズム」「勇敢な音色混合」といった語で、日本から来たこの新鮮な音楽を論評し、「東洋のバルトーク」なる異名まで、作曲者にとらせたりしている。
この曲はその後、ベルリン以降も繰り返された。
朝比奈の欧米オーケストラへの客演の舞台や、数次におよんだ大阪フィルの海外公演で幾度も演奏され、「オオサカ」なる個性的な街の雰囲気、受けつがれてきた伝統文化、そしてそこで活躍する音楽家たちを、西欧の聴衆に紹介してゆくことになる。
<大阪俗謡による幻想曲の曲想>
−謎の物体の飛来から天神祭の熱狂へ−
謎の物体が飛来し、大音響とともに落下した、といった風体の導入につづき、呪文とも読経ともつかぬ面妖なパターンが出現、ひとしきり奇怪な音楽を繰り広げるが、太鼓とちゃんちき(※6)の突然の登場を合図に、テンポはにわかに速められる。
つづいて曲の柱となる3つの主旋律が紹介される。第1のテーマは場面転換の直後に木管楽器が吹く、「ラ」と「レ」の音を執拗に反復する原色調のもので、大阪の最も盛大な夏祭り「天神祭」で鳴らされる祭囃子がその出典とされる。作曲者自作の第2のテーマはフルートとイングリッシュホルンが担当するが、第1のテーマとはまるで違う、流線形然としたあでやかさ、伸びやかさが印象的だ。太鼓のリズムに誘われてピッコロが踊り出、第3のテーマを聴かせる。こちらは天王寺の生国魂神社の獅子舞囃子が原曲とのこと。
お祭りの山車や踊りの一団が遠くに去ってゆくように、鳴らされる楽器の数が減ってゆき、これまでにない色調の音楽に主役の座が譲られる。物憂げに浮遊するフルートやオーボエは、哀切に唄われる小唄のようであり、はらはらと散ってゆく弦楽のピチカートは、漫然と弾かれる三味線を想わせる。時間は湿り気をほしいままに含みつつ、緩みきってのろのろと流れてゆく。白粉の匂い、紅色の灯火――。
逸楽の夜はほんとうに短く、音楽もやがてむくむくと目を覚まして、以前と変わらぬ喧騒が戻ってくる。今度はかつて呈示した3つの主旋律を、さまざまに変容させて曲が前進してゆく。前半部分にも増して意気高い、健康的な交響楽が展開された後は、祭りの熱狂さながらに限界までテンポを加速し、その興奮の頂点をもって曲のしめくくりにかえている。
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