(C) 関西シティフィルハーモニー交響楽団
(アマチュアオーケストラ,大阪市)

大栗裕・大阪俗謡による幻想曲
− 注釈集 −


 

(※1)朝比奈による音楽団体の創設、育成

朝比奈は1947年に関西交響楽団を創設、'60年には同楽団を改組して、大阪フィルハーモニー交響楽団とし、2001年12月に死去するまで終生その音楽総監督・常任指揮者の地位にあった。
関西歌劇団は同じく朝比奈が'49年に設立した関西オペラグループがその母体。

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(※2)ベルリンフィルハーモニー管弦楽団

1882年創設。歴代の音楽監督・常任指揮者にはハンス・フォン・ビューロー(1830〜93)、アルトゥール・ニキシュ(1855〜1922)、ウィルヘルム・フルトヴェングラー(1886〜1954)、セルジュ・チェリビダッケ(1912〜96)といった今日では神格化されている大音楽家が名を連ねるが、とりわけヘルベルト・フォン・カラヤン(1908〜89)の在任期間(1956〜89)には、活発なレコード製作、全世界的規模の国外公演を行い、あらゆる意味において世界楽壇の頂点に君臨するオーケストラとなった。
カラヤン没後はクラウディオ・アバド(1933年生まれ)をへて、2002年からサー・サイモン・ラトル(19955年生まれ)が音楽監督に就任。


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(※3)芥川也寸志
(あくたがわやすし)

作曲家(1925〜89)。文豪・芥川龍之介の三男。
1949年東京音楽学校(現東京芸術大学)研究科作曲専攻修了。
'53年には盟友黛敏郎、團伊玖磨と作曲グループ「3人の会」を結成、以後彼らとともに戦後作曲界のリーダー的存在として精力的な活動を展開。他方ではテレビの音楽番組への出演、アマチュアオーケストラ育成といった教育、啓蒙活動や、著作権保護思想の普及にも尽力した。
代表作に『交響曲第1番』『交響管絃楽のための音楽』『大オーケストラのための“響”』など。

ちなみに「也寸志」の名の漢字に関しては、芥川龍之介の同僚だった文豪・菊池寛(きくち かん: 1888-1948)が、自分の名が「ひろし」と人からよく間違って呼ばれていたことを気にしていて、他に読みようのない漢字を充ててあげたとの逸話がある。


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(※4)シュトゥッケンシュミット,ハンス・ハインツ (Stuckenschmidt, Hans Hainz)

ドイツの音楽学者、評論家(1901〜89)。
青年期より現代音楽の積極的な支持者として執筆活動を展開。
'31年から翌年まで現代作曲家シェーンベルクの楽曲分析の講義を聴講。
戦後はベルリン・RIAS放送の現代音楽部門の責任者を務めるかたわら、有力大衆紙で音楽評を担当、ベルリン工科大学では音楽史を講義した。
主な著書に『20世紀の作曲家』『アールルド・シェーンベルク、その生涯・環境・作品』など。


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(※5)『大阪俗謡による幻想曲』の世界初演は神戸

『大阪俗謡による幻想曲』の世界初演は'56年5月28日、神戸で朝比奈指揮の関西交響楽団による。

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(※6)ちゃんちき

主に祭礼等で演奏される、縁のある円盤状の金属打楽器。
奏者の手に持たれたり、祭屋台の骨組などに吊り下げられたりした上で、鹿の角を加工して作った頭部を持ったばちを用いて、それぞれ音色の異なる縁と中心部を適宜打ち分けて演奏され、独特のにぎやかな音を発する。
大きさ、音高はさまざまで一定していない。


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(※7)義太夫節

日本の古典芸能のひとつである人形劇「文楽」のための劇音楽のうち、竹本義太夫(1651〜1714)が創始した流派に属するものの名。
舞台上での劇の進行に合わせて浄瑠璃を語る(=各場面の状況説明や人形にかわって台詞をしゃべったりする)太夫(たゆう)の演唱を、三味線で伴奏するのが本来の形態であるが、浄瑠璃語りを省略した音楽のみの「素浄瑠璃」として演奏されることもある。


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(※8)天王寺商業学校音楽部

「天商バンド」の愛称で親しまれ、高い人気と実力を誇った往年の名門ブラスバンド。
大栗裕以外にも、彼の実弟であり大阪フィルと京都市交響楽団でトランペット奏者を務めた大栗昌、大阪フィルの元クラリネット奏者宮本淳一朗、同じく大阪フィルのクラリネット奏者出身で指揮者でもある泉庄右衛門、指揮者の森正などといった多くの音楽人を輩出した。


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(※9)当該記載の参照先

産経新聞・1999年10月31日付28面に掲載の「『大阪俗謡による幻想曲』原
典版を披露 独から43年ぶり里帰り」を参照した。


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