(C) 関西シティフィルハーモニー交響楽団
(アマチュアオーケストラ,大阪市)

指揮者 高昌帥

指揮者 高昌帥
「幻想」を語る

− 私の目指す「幻想交響曲」 −


<序論>
作曲者ベルリオーズが好きな理由

<こだわりの楽器配置>
作曲者の理想−「対向配置」について

<結論>
私の目指す「幻想交響曲」



今回の第35回定期演奏会の指揮者、高 昌帥先生にとって、メイン演奏曲の「幻想交響曲」と、その作曲者ヘクトール・ベルリオーズは特別な存在です。
ここでは、定期演奏会本番を目前に控えた高先生ご自身に、その理由と楽器編成における「こだわり」、そして副題にもなっている目指す「幻想交響曲」の演奏について語って頂きました。



<序  論>
私が作曲家ベルリオーズを好きな理由

「幻想交響曲」作曲当時のベルリオーズの肖像画
「幻想交響曲」の作曲者
ヘクトール・ベルリオーズ

私がベルリオーズが好きな理由として一番にあげるのは、(最近別の分野で流行っていますが)管弦楽音楽における「既成概念の創造的破壊」をたった一人で大胆かつ緻密に成し遂げたところです。

彼は当時技法や形式が硬直化した音楽界において、常識はずれとも言える技法や演奏法、楽器編成の改革を周囲の嘲りや批判に惑わされることなく断行し、しかも緻密な計画のもとにそれらを系統立てて、現代にまで影響を及ぼす新たな管弦楽音楽の技法や形式を創造した、作曲家界の「一大カリスマ」なのです。
そのことは、「幻想交響曲」1曲の特徴を取り上げるだけでも十分にお分かり頂けるかと思います。
(幻想交響曲における革新的な箇所はこの概説ページを参照して下さい。)

このようなベルリオーズの「改革者」ぶりは、ピエール・ブーレーズ著の『参照点』より「ベルリオーズと想像界」にて、以下のように取り上げられております。


〜ベルリオーズは「演奏集団の絶えざる一律性」を致命的な障害として嘆き、要するに、交響楽の編成の規格化を告発し、その否定的な側面の数々を考察する。交響楽の装置の硬直性に関して一世紀以上も昔に書かれたこの考察は鋭い洞察に満ちている。事実、この硬直性は、作曲家の自己表現に際して、規制の承認された寸法にしたがって、同じ枠や同一の状況を作曲家に強制的に与えることによって、彼らの想像力を長い間にわたってこわばらせ、マヒさせたに相違ないのだ。


上記の節では、ベルリオーズのいた当時の音楽界(特に交響曲)の「硬直」ぶりが紹介されています。

ベルリオーズのいた当時の音楽界、ことに交響曲の世界においては、あの「不滅の九曲」の交響曲を作曲したベートーヴェンの影響が大きく、その枠組みはベートーヴェンがほとんどの交響曲で採用した編成
(管楽器群各2本と30〜40人前後の弦楽器群、打楽器はほとんどティンパニのみ)と形式(全4楽章構成で第1,4楽章が速いテンポのソナタ形式、第2楽章は緩いテンポの歌唱風曲、第3楽章はスケルツォなどの舞曲)が、当たり前のように決まり切って採用されていました。
その有名な例として、ベートーヴェンと全く違った優れた作曲スタイルを有しながら、交響曲では彼の定めたスタイルに縛られ、その個性が十分に生かし切れなかったフランツ・シューベルトや、ベートーヴェンを意識するあまり、自分のオリジナリティを生かした第1交響曲の作曲に約20年も要した上に、古典主義の評論家に「ベートーヴェンの第10交響曲」とある種不当に評価されてしまったヨハネス・ブラームスの例があります。

一方、ベルリオーズの故国フランスでは、18世紀末のフランス革命、ロベスピエールらジャコバン党員による恐怖政治
(国民への国家財産の平等分配のため、王侯貴族や富裕層の多くがギロチンで処刑された)から、それに続く19世紀初頭のナポレオン率いるフランス軍の全欧侵攻により、アンシャン・レジーム(フランス革命以前の王侯貴族による政治などの旧体制)が崩壊しました。


ルイ16世のギロチン(断頭台)による斬首刑 フランス革命の首謀者&革命後の恐怖政治の実行者 ロベスピエール

(上)革命と恐怖政治の元祖、ロベスピエール
       彼の実行した革命と恐怖政治は、民主主義と
       いうより、スターリン時代の旧ソ連が行った
       共産主義の徹底と反乱分子の粛清に近い。

(左)フランス革命でのルイ16世の斬首刑
       アンシャン・レジーム崩壊の決定打となった。
       周りの群衆と小太鼓を打ち鳴らす兵士たちは、
       幻想交響曲第4楽章の楽想の元となっている。

(下)左絵のギロチン(断頭台)付近の拡大図
       ギロチンで斬首されたルイ16世の首、そして
       ギロチンを挟んで離れてしまった体が見える。

ルイ16世を処刑したギロチン(断頭台)の拡大図


それは、これまで王侯貴族や富裕層の保護下で培われてきた「既成概念」に基づいた「旧体制」音楽の崩壊でもあったのです。
(おかげで、この時代のフランス音楽は混乱状態となり、ベルリオーズの登場まで音楽史上重要な作曲家や作品はほとんど出ませんでした。)

その様な激動のフランス社会を目の当たりにしたベルリオーズよるこれらの「既成概念の創造的破壊」は、時代が産んだ「必然」だったのかもしれません。


〜次いでベルリオーズはこの想像上のアンサンブルの構成の全てを詳しく述べ、それらを数字で示す。つまり467名を下回らない楽器奏者と360名を下回らない合唱団員。楽器の列挙は120丁のヴァイオリンに始まり、4つのパヴィヨン・シノワ
(構成者注:別名チュウゲン。トルコ軍楽隊が用いた楽器で、先端に鈴の付いた三日月型の飾り棒がある杖)で終わるが、途中には30台のハープと30台のピアノが見出される。ホルンについて言えば、その数は16を下らない。合唱団員を含めて、827人の演奏家を数えるわけだから、『千人の交響曲』(構成者注:1910年初演のグスタフ・マーラー作曲の第8交響曲で、初演に1,000人強の演奏者が登場したために付けられた)には及ばないとしても、遠くはない。

〜ベルリオーズはそこで、このオーケストラから引き出すことの出来る効果のカタログ作りに取り掛かる。(中略)そこから想像界でのみ実現の機会が与えられるものをいくつか引用してみたい。「30台のハープと〈ピッツィカート
(構成者注:弦を指で弾く奏法)〉で演奏される弓奏楽器群全体との大オーケストラにおける結合」、「30台のピアノと6台のグロッケンシュピール(構成者注:小型の鉄琴)、12対のサンバル・アンティック(構成者注:雅楽の鉦に似た音階付きの小シンバル)、6つのトライアングル(それは、サンバル・アンティック同様、様々な音に調律できる)、および4つのパヴィヨン・シノワとの結合」、「ヴァイオリンとヴィオラとチェロのユニゾン(構成者注:同一旋律の合奏)か、木管楽器のユニゾンか、金管楽器のユニゾンによる歌を声楽オーケストラで伴奏させる」等々。


続くこれらの節では、実際にベルリオーズが提案した楽器編成プランについて語られています。
これらを見ると、彼の提案した楽器編成がいかに斬新かつ大胆(大編成)であるかがよく分かるかと思います。

それ故、彼は当時の「常識的」な評論家や聴衆たちから「異端者」扱いされることが多く、下の戯画のように面白可笑しく(皮肉かつ嘲笑的に)描かれることもありました。

「幻想交響曲」など大規模な編成のベルリオーズの作品を皮肉った戯画。ベルリオーズが指揮する大砲のような金管楽器群の咆哮に聴衆が逃げまどっている。
(ベルリオーズの大規模管弦楽曲を皮肉る当時の戯画)




<こだわりの楽器配置>
作曲者の理想−「対向配置」について

2003年2月22〜23日の合宿練習にて。指揮者を挟んで対向配置されているヴァイオリンパートに注目して下さい。
(2003年2月22〜23日の合宿練習にて)

「オーケストラのいくつかのパートは、作曲家によって相互に問い掛け答えあうよう想定される。ところでそうした意図は、対話を成立させる楽器群が相互に充分隔たっている場合にのみ明瞭で素晴らしいものとなる」
(ベルリオーズ『管弦楽法概論』より)


このような彼の理想に少しでも近づくべく、今回の演奏会で、私はこれまでこの関西シティフィルハーモニー交響楽団では前例のない、以下の(図1)のようなヴァイオリン群の対向配置を取ることに致しました。

今回の演奏会での弦楽器群の配置について。第2ヴァイオリン群の位置が第1ヴァイオリンに対して対向になるよう配置しています。
(図1) 弦楽器群の配置比較図

この配置の特徴は、見てお分かりの通り、ヴァイオリン群が指揮者を隔てて対向的に配置されているということです。

「幻想交響曲」においては、第2ヴァイオリンの役割が第1ヴァイオリンの補助
(第1ヴァイオリンの旋律の1オクターブ下を弾くなど)というより、第1ヴァイオリンの「鏡」のように対照的な表現をする部分・・・つまり第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンが「対話」している部分が多いのです。

これが前述の彼の著書にあった、「対話」効果を最大限に生かすための「相互に十分隔てる」配置なのです。

ヴァイオリン群でお互いに聴きもってアンサンブルが組みにくいなど、従来の配置に比べて不利な点もありますが、これが作曲者ベルリオーズの理想である以上、私はそこにこだわって彼の理想とする演奏に近づきたいと考えております。



<結  論>
私の目指す「幻想交響曲」

「ありふれた偏見によれば、大規模なオーケストラは〈騒々しい〉ということになるが、それらのオーケストラがうまく構成され、よく練習を積み、うまく指揮されるなら、そしてそれらが真の音楽を演奏するなら、〈力強い〉というべきだろう。またたしかに、この二つの表現の意味ほど互いに異なっているものはない」
(ベルリオーズ『管弦楽法概論』より)


私の理想とする演奏は、まさに上記(ベルリオーズの持論)の通りであって、私からあえて補足する必要はないと思います。
オーケストラの最適な構成と十分な練習の成果、そして私自身の指揮が上手くかみ合ったとき、私とベルリオーズが理想とする「力強い」演奏に限りなく近づけると信じております。

2003年2月22〜23日の合宿練習にて。目指す「幻想」に少しでも近づけるよう練習を積み重ねてきました。
(2003年2月22〜23日の合宿練習にて)



参考:
ベルリオーズと想像界 (ピエール・ブーレーズ著「参照点」より)
管弦楽法概論 (ヘクトール・ベルリオーズ著)
ベルリオーズとその時代 (西村書店)
幻想交響曲 総譜 (音楽之友社)
痛快!憲法学 (集英社)

原案・原文: 高 昌帥
(指揮者・トレーナー)

文責・構成: 岩田倫和(チェロ)

 

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