ジャズとチャールストン(3)

〜スウィングしなけりゃ意味無いね〜

チャールストン

さて、いきなり登場しました左の楽譜、これはアフリカの舞踏音楽に見られるリズムのパターンです。初期のジャズはこうした舞踏音楽の要素を受け継いで生まれてきました。

この譜例で行きますと、手拍子1をピアノやベースドラムが、手拍子3をウッドブロックが、手拍子4をチューバが担当する、といった具合です。ただ、手拍子2と手拍子5はジャズのリズムから抜け落ちました。リズムの単純化が行われた結果です。また、当初の緩やかなツービートに大股で歩くような3連譜を乗せるスタイルでは、手拍子2および5は入りきらなかったのです。

しかし、手拍子2の躍動感のあるリズムは、テンポの速いダンスミュージックの中に生き続けました。

最初に現れたのがブラジルのサンバのリズムです。それから、アメリカのラグタイムで多様な形に変化して現れます。ラグタイムとは、1890年代から1910年代まで流行したピアノの演奏スタイルで、シンコペーションを多用したメロディーと、ベースラインが1拍ごとにオクターブ跳躍するストライド奏法を特徴としています。《タイガー・ラグ》や、映画「スティング」の《エンターテイナー》等が有名です。

そして、1920年代にあらわれたのがチャールストンです。このチャールストンの基本のリズムも、上記手拍子2のリズムです。もともと南部の街チャールストンで生まれたこの音楽は、つま先を内側に向けて膝から下を左右に跳ね上げる独特の踊りとともに大流行しました。

ガーシュイン「パリのアメリカ人」の後半でトランペットが奏でる陽気なダンス音楽は、このチャールストンのスタイルで書かれています。


スウィング

チャールストンが大流行する中、その影響を受けてジャズにもリズムの変化が現れます。緩やかな「大股で歩く」2ビートのリズムから、勢いのある4ビートのリズムに変化していったのです。

演奏スタイルにも変化が現れました。少人数のバンド(コンビネーション・バンド、略してコンボ)による演奏も続けられる傍ら、大編成のビッグ・バンドによる華やかな演奏が人気を博します。

編成が大きくなるに連れ、各個人が自由にアドリブで演奏することは難しくなります。そこで、楽譜を用意するアレンジャー(編曲者)が必要とされるようになりました。こうして、有能なバンドリーダーのもとに優秀なアレンジャーが集まり、その下に楽譜も読めアドリブもできる優秀な奏者が集まる構図ができあがりました。

1932年にデューク・エリントンが録音したレコードのタイトル、《IT DON'T MEAN A THING (IF IT AIN'T GOT THAT SWING )》「スウィングしなけりゃ意味がない」は、まさにこの時代を象徴していました。ダンスホールに集った人たちは、スウィングする(揺さぶる)ビートに酔いしれたのでした。

その数年後、都会の夜の音楽であったジャズが、ベニー・グッドマンの登場により大衆化されたとき、人々はこれをスウィング・ジャズとして熱狂的に迎え入れました。
今やジャズはカーネギーホールでも演奏される「日向の」音楽となったのです。

1930年代のビッグバンドによるスウィング・ジャズの流行は、1939年の第二次世界大戦参戦により翳りを見せます。
非常時を理由に多くのダンスホールが閉鎖されたのです。したがって、一部の有名バンド以外は解散を余儀なくされました。そのような中、少人数のジャズメンによる実験的な演奏、いわゆるジャム・セッションから、次なる時代のジャズが生まれてくるのでした。
モダン・ジャズの誕生です。




(C) 関西シティフィルハーモニー交響楽団

(アマチュアオーケストラ,大阪市)