ジャズとチャールストン

〜スウィングしなけりゃ意味無いね〜

ジャズの起源

 ジャズという音楽がいつどこで生まれたのか?この質問には、一部は大まかに、残りの一部は確信を持って答えることができます。

いつ、には1900年前後としか答えることができません。さまざまなジャンルの音楽の影響を受けながら、ジャズは自然発生的に生まれてきたのです。1917年にはオリジナル・ディキシーランド・ジャズ・バンドが最初のジャズの録音を行っていますから、その時にはジャズの名称は一般化していたと言えるでしょう。しかし、ジャズの語源さえ諸説あって、定かにはなっていません。ただ「ジャズのような音楽」が1900年頃から演奏されていて、当時はホットとかスウィートというように呼ばれていた、と伝えられています(1917年に初録音ですので、1900年当時の音資料は当然残っていません)。

これに対し、どこで、には正確に答えることができます。ミシシッピの河口の港街、ニューオーリンズ。この街でジャズは産声を上げたのでした。

ニューオーリンズ・ジャズ

ルイ14世の土地、ルイジアナ。新しいオルレアン、ニューオーリンズ。1803年にナポレオンが1500万ドルでアメリカに売り渡すまで、ルイジアナはフランス領でした。この土地がかつてフランス領であったこととジャズの誕生には、深い関係があります。アングロ・アメリカではなかなか見られなかった民族・文化の融合がこの土地では見られたのです。

楽器がかえないため手に入るものを片っ端から楽器として演奏していた貧しいアフロ・アメリカン、他に本職を持っていてやや裕福で、南軍の残していった軍楽隊の楽器を買うことができたアフロ・アメリカン、アフロ・アメリカンとフランス人との混血でヨーロッパ文化を享受していたが没落したクリオールの人々。彼らがアフリカ音楽とヨーロッパ音楽を融合させ、ジャズの源を生み出していったのでした。

ジャズ発生当時のニューオーリンズにはこうした「ジャズ奏者予備軍」の人々が沢山いたわけですが、彼らがジャズを生み出すためには活動の舞台が必要でした。はやい話が、音楽を演奏することでお金をくれる雇い主が現れて、初めてプロ奏者としてのジャズ・メンが現れたのです。その雇い主となったのは、大歓楽街、ストーリーヴィルに並ぶ娼館でした。

ミシシッピの河口に位置する天然の良港ニューオーリンズの繁栄の中、役所公認の売春街ストーリーヴィルは作られました。ストーリーとはこの街の建設に携わった役人の名前(シドニー・ストーリー)です。

歓楽街ができると、呼び込みやダンスのために音楽家が必要とされました。そして、呼び込みのためには、アドリブで盛り上がり、とにかく目立つことを目指す、ホット・ミュージックが、高級娼館でのダンスのためにはメロディアスなスウィート・ミュージックが演奏されました。このホットとスウィートはやがて歩み寄りを見せ、ジャズという新しい音楽を生んでいったのです。

ニューオーリンズのジャズのバンドは、管楽器を主体としていました。まずメインのソロをコルネットやトランペットがとり、クラリネットが対旋律を吹きます。低音部をトロンボーンやチューバが押さえ、これにバンジョーかギター、そしてドラムスが入るのが標準的なスタイルです。

永遠に続くとも思われたニューオーリンズ・ジャズの勢いにも、やがて翳りが訪れました。1917年、第1次世界大戦にアメリカが参戦したのにともない、ストーリーヴィルは突如閉鎖されてしまったのです。重要な海軍の拠点があるニューオーリンズに歓楽街があっては兵の士気に悪い影響が出る、というのがその理由です。

ニューオーリンズのジャズマンたちはその後どうしたのでしょう?他に職業がある人や、まだあまり音楽にのめり込んでいない人は、ジャズを捨てて、ニューオーリンズにとどまりました。しかし、ジャズにどっぷり浸かってしまった人はニューオーリンズに居続けることはできませんでした。当時のジャズは都市の音楽、歓楽街の音楽だったからです。そこでジャズマンたちは、ミシシッピを遡上し、新たな都市に、活躍の場を求めました。こうしてジャズは北に広まっていったのでした。




(C) 関西シティフィルハーモニー交響楽団

(アマチュアオーケストラ,大阪市)