スピリチュアルとブルース

〜祈りの歌・嘆きの歌〜

シティ・ブルース

 第一次大戦の軍需により、アフロ・アメリカンに社会進出のチャンスが生じてきました。新しい生活を目指して、アフロ・アメリカンたちは北部へ、都市へと移動していきました。

 アフロ・アメリカンの都市進出にともない、1920年代から、ブルースは録音されるようになりました。それは「レイス(人種)・レコード」と呼ばれる、アフロ・アメリカンのみに配信されるレコードでした。とはいうものの、ヨーロピアン・アメリカンたちがブルースと接触する場が全くなかったわけではありませんでした。テント・ショーと呼ばれるものがあったのです。

 テント・ショーとは、サーカスや物売りといった雑多の出し物に混じって、ブルースを披露するショーでした。そこで歌われたのは、クラシック・ブルースと呼ばれる、女性ボーカリストがジャズ・バンドをバックに歌うものでした。そして、先にあげたレイス・レコードで最初に録音されたのも、彼女たちの音楽だったのです。

 女性シンガーたちの歌声は、都市に進出したアフロ・アメリカンたちを包み込み、この地で共同体を築き、主流文化に受け入れられるという希望を抱かせました。共同体の中にいながらも孤独な現実を訴えたカントリー・ブルースが男性の歌であったのに対し、クラシック・ブルースは大地母神のように全てを包み込みました。

 テントショーのテントは、入口も客席もアフロ・アメリカン用とユーロ・アメリカン用に分かれていました。しかし、ヨーロピアン・アメリカンにとってこのショーはアフロ系の音楽に接する数少ない場となり、ここからユーロ系の人たちの間にブルースが伝わっていったのでした。そして、そのブームは1930年代には世界中におよびます(「ブルースの女王」淡谷のり子がブルースの名の付く歌を歌い始めたのは1930年代です)。

 ガーシュイン「パリのアメリカ人」(1928年)の第二部で、ブルーノートの響きも印象的な、哀愁を帯びたソロをトランペットが奏でますが、この部分にクラシック・ブルースの影響を聞き取ることができます。

 しかし、クラシック・ブルースの夢もやがて挫折します。都市においてもアフロ・アメリカンたちは真に受け入れられることはありませんでした。彼らはやがてゲットーに後退していきます。その音楽も、よりプリミティブな、アフリカ的なものに逆戻りしていました。こうして生まれたのが、シティ・ブルースです。

 シティ・ブルースは、強烈な肉体性を強調するため、ドラムやハーモニカ、エレキギターを取り入れていきました。また、ブギウギの躍動的なリズムがとりいれられ、後には重要な要素となります。こうしてシティ・ブルースは、都会的な洗練を進めていたスウィング・ジャズと袂を分かったのでした。


アーバン・ブルース

 デルタ・ブルースの流れをくむシティ・ブルースとは別に、南部の諸都市ではテキサス・スタイルやイースタン・スタイルから派生したアーバン・ブルースの流れがありました。アーバン・ブルース(その中にはカンザスシティ・スタイルやアーバン・テキサス・スタイル等の、中心となった都市の名が付けられたいくつかのスタイルがあったのですが)は、クラシック・ブルースと共通する特徴をいくつか持っていました。ジャズと結びついたこと、ポピュラー音楽と結びついたこと、アフリカ的なものと西洋的なものの統合に向かうバランス感覚があることなどです。しかし、アーバン・ブルースはこれに加えて、アフリカ的なリズムの躍動、プリミティブな肉体性を備えていました。

 アーバン・ブルースは、第二次大戦の軍需とともにおきたアフロ・アメリカンの二度目の大規模な北上にともない北部にも進出していき、やがてブルースの主流となります。

 ちなみに、R&B(リズム・アンド・ブルース)という言葉は、「レイス(種族)・ミュージック」という名でくくられていたアフロ・アメリカンの音楽に対して、差別的な表現を廃するためにレコード業界が付けた名前で、ブルースの特定のスタイルを指すものではありません。このあたりは、ヒルビリー・ミュージックがカントリー・アンド・ウェスタンと名前を変えた経緯と一致します。


ソウル・ミュージック

 アフロ・アメリカンの、そしてブルースの歴史が、西洋的なものとアフリカ的なものの対立とそこから生まれる孤独、疎外感による挫折、そして対立するものの統合という形で発展してきた結果、アフロ・アメリカンは新しい思想を持つにいたります。「ブラック・イズ・ビューティフル」。主流文化に参入しようと夢見るのでも、それに挫折して後退するのでもなく、自分たちの文化に誇りを持ち、社会の中で堂々と生きていこうという考え方です。そこから生まれた「革命」のブルースが、ソウル・ミュージックです。

 ソウルは、音楽的には、アーバン・ブルースを継承しながら、ジャズ、ゴスペル、ポピュラー・ミュージックを積極的に取り込んだものです。ここにおいて、スピリチュアル、ゴスペルが希求した「約束の地」と、ユーロ・アメリカンたちが追い続ける「アメリカン・ドリーム」は融合しました。「アフロ」と「アメリカン」は矛盾するものではなくなりました。言い換えれば、アメリカ主流文化に参入するのではなく、新しいアメリカ主流文化を創り上げたのです。




(C) 関西シティフィルハーモニー交響楽団

(アマチュアオーケストラ,大阪市)