(C) 関西シティフィルハーモニー交響楽団
(アマチュアオーケストラ,大阪市)

ガーシュイン・オペラ「ポーギーとベス」より
It ain't necessarily so
(必ずしもそうじゃないぜ)
− 歌の概要 −

この"It ain't necessarily so"は、第2幕の中盤、地元の教会主催の離島ピクニックの場面で、退屈なピクニックに飽きた人たちが集団で抜け出し、飲めや歌えやの大騒ぎの中、なぜか場を仕切っていたスポーティン・ライフが酒に酔ってふざけて歌い出すものです。 

ちなみにタイトルの"It ain't necessarily so"とは、(皆さんが学校で学んだ)ふつうの英語に置き換えると"It isn't necessary so"、すなわち「必ずしもそうじゃない」です。これは、アメリカ黒人特有のスラングで、"isn't""ain't""necessary""necessarily"に置き換わったものです。
まあ、タイトルからしてスラングなのですから、歌詞の英語も当然スラングで、ふつうの英語が理解できる方でもなかなか訳しにくいものとなっております。

歌詞の内容は、以下の旧約聖書に出てくる4つの挿話を持ち出し、「この聖書に書かれていることだって、必ずしもそうじゃないぜ」と、背徳者の象徴のような女たらしの麻薬密売人が、敬虔なクリスチャンたちに説教し出すという、何とも皮肉に満ちた内容ですが、小柄なポーギーが大男のクラウンを倒してベスを完全に自分のものにするという、このオペラの後の筋書きを暗示する事項も出ているのが見逃せないところです。


1.少年ダビデは戦士ゴリアトを倒した
    (旧約聖書 サムエル記上 17章)


史実と照らし合わせると、おそらく紀元前11世紀頃の話と思われます。
イスラエル北部の町ベツレヘムの豪族エッサイの末子ダビデは、兄弟の中で一番小柄で軽んじられていた男でしたが、その器は「イスラエルの王」と神に認められ、その体には聖霊が宿りました。
その後、ペリシテ人*)とイスラエル人が戦争となったとき、ペリシテ人最強のガト(現在のガザ地区か)出身の戦士ゴリアト(ゴリアテとも言い、身長約3m、青銅の武器・防具で完全武装していた大男)を、体格では遙かに劣る上に丸腰で何一つ防具を身につけていなかったダビデが、神の大いなる助けを得て、石の礫をゴリアトの額に当てて気絶させた後に首をはねてしまったという話です。
(いかにダビデが傍目から見て無謀な戦いを挑んだのかは、以下の外観比較でお分かりかと思います。)

*)ペリシテ人
今のイスラエル(パレスチナ)のガザ地区を中心とする当時の小国家ペリシテの民族で、今のギリシアなどエーゲ海沿岸付近からの移民と言われる。(その証拠に、彼らが信仰したバアル、アシュタロテ、ダゴンなどの神々はギリシア神話の神々を元にしている。)
ちなみに、今の「パレスチナ」の地名は「ペリシテ人の土地」という意味から生じているが、現在イスラエル(ユダヤ人)と争っているパレスチナ人は、ユダヤ人と同じ中東地域から生まれたセム族系民族 (有色人種)であり、ギリシア系移民のペリシテ人(白色人種)とは出自そのものが全く違っている。


(ゴリアトとダビデの外観比較)

ゴリアト ダビデ
(外見)
身長3mで筋肉質、どこから見ても戦士
(経験)

生まれついての屈強な戦士
(武器)
腰: ゴリアトの剣
背中: 青銅の投げ槍(穂先は7kgの鉄製)
(防具)
兜: 青銅の兜
鎧: 青銅製の鱗とじの全身鎧(約57kg)
足: 青銅のすね当て
盾: 盾持ち付きの大盾
(外見)
戦闘には向いてなさそうな小柄な美少年
(経験)

羊飼いと琴弾きの名人
(武器)
手: 羊飼いの杖
      石投げ紐河原の小石5個
(防具)
兜: なし
鎧: 布の服(羊飼いの普段着)
足: なし
盾: なし

その後、ダビデは前王サウルとの戦いなどを経てイスラエルの王となり、「サウルは千を打ち、ダビデは万を打った(ダビデの軍師としての能力はサウルより遙かに優れる)」との言葉通り、古代イスラエル王国はその版図を最大限までに広げて、以後後継のソロモン王までに至る80年間の黄金時代を築き上げるのでした。
(ちなみに現代のイスラエルの領土(占領区域含む)は、ダビデが広げた古代イスラエル王国の最大領土とほぼ同じです。)

この話は、「必ずしもそうじゃない」話の一例であるとともに、小柄で足の不自由なポーギーが、大男で屈強なクラウンを倒して(殺して)しまうという筋書きの暗示となっています。


2.ヨナは3日間鯨の腹の中で暮らした
    (旧約聖書 ヨナ書 1〜2章)


神から預言活動(人々に神の御言葉を伝える)の使命を授かったヨナは、神の命に背いて船で逃亡しようと企てますが、船上で神の起こした嵐に遭い、罰として神の御使いである大きな魚(歌詞では鯨とされていますが、聖書では鯨との指定はありません)に飲み込まれてしまいます。
魚の腹の中でヨナは神に祈り続けて反省し、3日目になって神の許しが得られて、魚の口から陸地に吐き戻されました。
以後、ヨナは神の命に背くことなく預言活動を行いました。


3.モーセは川の中からファラオの娘に拾われた
    (旧約聖書 出エジプト記 2章)


史実と照らし合わせると、おそらく紀元前15世紀(エジプト第18王朝)頃の話と思われます。
往年の大作洋画「十戒」を見られたことがあればご存じかと思いますが、あの海を真っ二つに割って、民衆とともに海底を歩いて渡ったイスラエル人モーセは、古代エジプトで生まれて、赤ん坊のうちにパピルス製のかごに乗せられて川に流されてしまいますが、川で水遊びをしていたファラオ(古代エジプトの王)の娘に奇跡的に川の中から拾われます
その王女が名付けた「モーセ」の名前は、ヘブライ語(イスラエルの公用語)で「(川の中から)引き上げた」と同時に、古代エジプト語で「子供」という意味も含んでいます。つまり王女はヘブライとエジプトの言葉を結びつけて、(私が川の中から)引き上げた子供」という意味で名付けたのでしょうね。かなりのネーミングセンスの持ち主です(笑)

ちなみにモーセが川に流されてしまった理由は、当時360年前から飢饉を逃れるためにエジプトに移住していたイスラエル人の人口が増えるのを危惧したファラオが、イスラエル人口抑制政策で、産まれたイスラエル人男子をナイル川に流すように命じられていたためです。
(モーセが現れる360年前の紀元前19世紀(エジプト第12王朝)頃、イスラエル人エジプト指導者ヨセフのはからいにより、エジプトのゴシェン地方に移住したイスラエル人(と言ってもイスラエルとその家族)*)は約70人でしたが、「産めよ増やせよ地に満ちよ」で増え続け、360年後の出エジプト記の頃になって約60万人に膨れ上がっていたのですから、エジプト人が抑えようととするのは無理もないことでしょう。)

その後、モーセは王女の養子として、最も恵まれた環境下のエジプト王家において、最先端の学問と教養、帝王学を身につけることが出来たのです。
(これは、後に60万人とも言われる大量のエジプト在留イスラエル人をリードするのに必要であったリーダーシップと、モーセ自身が書いたとされる旧約聖書の創世記などの執筆に必要な知識へ大きく役立ったものと思われます。)


*)イスラエルとその家族
皆さんが国名としてご存じのイスラエルは、ヘブライ語で「神に打ち勝つ」との意味で、もともとはヤコブ(イスラエル人とアラブ人の父祖アブラハムの孫)というイスラエル人が神の御使いとの夜通しの格闘に「打ち勝って」、神から拝した名前です。そのイスラエルの子ヨセフは親から溺愛された故に他の兄弟からの嫉妬を買い、エジプトに奴隷として売られてしまいます。そのヨセフは後に神の助けを得てエジプトの最高指導者となり、その後エジプト周辺を襲った食糧危機を救い、ファラオを始め人々の厚い信頼を得ました。
その食糧危機の時に飢饉にあえぐカナン地方(当時のイスラエル付近の呼び名)から豊かなエジプトへ移住したのがイスラエルとその家族なのです。
(この話から、当時のイスラエル人が抱いていた最強最先進国古代エジプト王国への憧れと、その国をイスラエル人が救ったとすることにより、自らの神の正当性をより強固にしようとした意図が伺えますね。)
そして、イスラエルとその息子(一部孫を含む)たちはその後「イスラエル12部族」と言われる小部族に分かれましたが、そのほとんどは紀元前6〜8世紀にかけて異民族(アッシリア帝国とバビロニア帝国)に滅ぼされ、現在までに残っているのは「ユダ族」・・・つまりユダヤ人のみです。


4.メトシェラは900年生きたが、女に相手してもらえなかった
    (旧約聖書 創世記 5章 25〜27節)


メトシェラは人類の始祖アダムから8代目に当たり、あの「ノアの箱船」で有名なノアの祖父に当たる者ですが、旧約聖書で登場する箇所はわずか3行余だけです。
彼がこの歌詞に採用された理由はただ一つ、「(聖書における)人類史上、最も長生きした人」だからです。
彼は969歳まで生きて、187歳の時にレメク(ノアの父親)をもうけたのを皮切りに、死ぬまでに何人か子供をもうけたようで、特に女に相手してもらえなかったとの記述もありませんから、歌詞でスポーティン・ライフの言っていたことは、ちょっと間違っています。

ちなみに旧約聖書の中での登場人物の寿命は、神の影響が薄れていったせいか、メトシェラ以後徐々に縮み始め、創世記の終わり頃には120歳付近で落ち着き、以後360年後に出たモーセ、更に400年後に出たダビデとソロモンなど、神に近い人物ですら例外ではありませんでした。
これは現代医学上の人の寿命(全ての脳細胞が死滅すると言われる年数)とほぼ一致しています。


この歌はオペラ以外に単独で歌われることもあり、歌詞にはアンコール用のおまけもあります。
ちなみにその内容も旧約聖書で最も有名な話である、人類の始祖アダムとイブがエデンの園から追放される話であり、「アダムとイブはあんな事をやってエデンの園から追い出されたけど、何で俺たちまであいつらの罪を背負わなきゃいけないんだ?」と、キリスト教の基本思想の一つである「原罪」への疑問を投げかけています。


<第二次大戦中のデンマークでの"It ain't necessarily so">

それから、これは単なるウラ話ですが・・・
この歌は、第二次大戦中において、オペラ「ポーギーとベス」の上演がナチス・ドイツ占領下のデンマーク首都コペンハーゲンでも許されていたため(前項参照)、デンマーク中にも知られることとなりました。
そこで、この国のレジスタンス(反ナチ地下組織)が、連日のドイツ軍大勝利を告げるプロパガンダ放送の周波数に割り込んで、この歌を「必ずしもそうじゃないぜ」と言わんばかりに流していたとのことです。
ちなみに、この逸話は、歌の作詞者アイラ・ガーシュイン(作曲者ジョージ・ガーシュインの兄)も知るところとなり、この歌を作詞した時の回想録にも気持ちよさそうに付記しております。

下の「次へ」のリンクで歌詞の邦訳を見ることが出来ます。