(C) 関西シティフィルハーモニー交響楽団
(アマチュアオーケストラ,大阪市)


関西シティフィル・ギャラリー
−第42回定期演奏会の映像−


<ボロディン・ 歌劇「イーゴリ公」より>
ポーロヴェツ人の踊りと合唱(だったん人の踊り)
冒頭部
Windows Media形式:約4.3MB (演奏時間:2分22秒)


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ボロディン作曲の歌劇「イーゴリ公」より、もっとも有名な曲「ポーロヴェツ人の踊りと歌」冒頭部です。
オーボエが奏でる美しくももの悲しい旋律と、それと同じ旋律で歌う女声合唱の悲しげな歌詞が合わさって、エキゾチックな雰囲気を醸し出しています。
(この曲全体をお聴きになりたい方は、こちらのリンク
(約12分:2.7MB)からMP3形式音声ファイルをダウンロード再生してください。)

歌劇「イーゴリ公」は、1185(日本では壇ノ浦の戦で平家が滅亡した頃)のロシアの東部で起こったとされる話で、ルーシ(中世ロシアの古名)を治めていた11人の領主の一人イーゴリ公と、そのルーシを度々脅かした異民族ポーロヴェツ人との戦いから、敗北してポーロヴェツ人の捕虜となったイーゴリ公が逃亡してルーシへと帰還する様子を描いた大叙情詩「イーゴリ軍記」を原作としています。

歌劇「イーゴリ公」の頃のロシア(ルーシは、まだ諸公国に分裂した形でしか存在しておらず、ルーシ南方に進出してきた遊牧民(放牧を生業とする移動民族)ポーロヴェツ人と敵対または同盟しながら諸公国が覇権を廻って互いに争っていました。

12世紀頃のルーシ(古ロシア)諸国とポーロヴェツ人の勢力範囲

<12世紀当時のルーシ諸国とポーロヴェツ人の勢力分布>
緑色の細いラインは現在の国境線です。

そんな中、小公国の領主イーゴリ公は敵対するポーロヴェツ人を倒すべく、彼らの本拠地である大草原への遠征を行いますが、敵地での無謀な戦闘は見事なまでの惨敗で、彼は息子と共にポーロヴェツ人に捕らえられ、野営地へと連行されます。

そこでポーロヴェツ人のハン(族長)であったコンチャークは、勇猛なイーゴリ公に惚れ込んで、彼と同盟を結ぼうとあの手この手で調略にかけます。

その手段の一つが、華麗な踊りと歌を自らの権威と共にイーゴリ公に見せつけた、かの有名ないわゆる「だったん人の踊り」こと「ポーロヴェツ人の踊りと歌」です。
(日本人にとってトュリュク系遊牧民の「ポーロヴェツ人」はあまりに馴染みがなさ過ぎるため、誤訳を承知でモンゴル系の「だったん人」と訳したのでしょう。)

「ポーロヴェツ人の踊りと歌」は、ポーロヴェツ人によって周辺地域から連行された女奴隷たちによるしとやかな踊りと女声合唱と、コンチャークを讃えるポーロヴェツ人たちの力強い踊りと四部合唱が絶妙に組み合わさって構成されています。
 

<作曲者 アレクサンドル・ボロディンについて>

1870年頃のボロディンの写真

アレクサンドル・ボロディン1833-1887)は、祖父の代にグルジア国王の従者としてロシアへ赴き、帰国せずそのまま定住した高級貴族(公爵)ゲデヴァニシヴィリ家に生まれましたが、正妻の子でなかったために、当時の慣習で血縁のない使用人ボロディン姓を名乗らされました。

しかし、その才能は公爵家にふさわしく、音楽だけでなく、有機合成化学(アルドール縮合反応の発見)や女性教育の啓蒙(女子医科大学の創設)の分野でも輝かしい業績を残しました。
 

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<文> 岩田 倫和 (チェロ)