(C) 関西シティフィルハーモニー交響楽団
(アマチュアオーケストラ,大阪市)


関西シティフィル・ギャラリー
−第38回定期演奏会の映像−


<ベートーヴェン交響曲第3番「英雄」第2楽章>
−中間部−
Windows Media形式:約5.5MB (演奏時間:2分50秒)


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ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」
第2楽章の中間部です。
この楽章の楽譜の最初には"Marcia funebre"(葬送行進曲)とあり、その名の通り、楽章全体が緩やかなテンポで、かつ暗い雰囲気をたたえる行進曲であることが示されています。

前の第1楽章の冒頭部でも述べたように、この楽章の存在もこの「英雄」交響曲の革新性の一つとなっています。
その1つがこの「葬送行進曲」という性格付けとそれに合った暗さをたたえた旋律であり(当時の交響曲の第2楽章は明るい雰囲気を持ったものがほとんど)、そして、もう一つがここに出てくる大規模な中間部の存在です。

この中間部は、当時の典型的な交響曲の作曲パターン(三部形式)から言うと「再現部」にあたり、前の短い「中間部」らしき部分(最初と違って曲の雰囲気が明るくなる)が終わった後に、最初に出た主題旋律を改めて演奏する(再現する)部分となります。
ですので、通常はここで葬送行進曲の主題を再現して、短い終結部を伴って終わるはずなのです。
・・・が、しかしここは当時の作曲界の革命児たるベートーヴェン、ただでは終わらせず、なんとここから主題の大規模かつ長大な展開を始めて、真の「中間部」としてしまいます

主題の展開は通常第1楽章か終楽章(第4楽章)で行うのが普通で、このような三部形式で作られるはずの第2楽章で行われるのは、今までになかったスタイルでした。

さて、ここでなぜベートーヴェンはこのような「革命」をおこしたのでしょうか?
1つには「普通で終わらせたくなかった」という思いがあったのでしょうが、それ以上に彼自身の「葬送行進曲」に対する思い入れがあったような気がします。

(これは私が学生オーケストラにいた頃、指揮者の先生が述べた解釈によるものなのですが・・・)
葬送行進曲は、人の死とその葬送に面して抱く遺族の感情の過程を描いたものであるのではないかというものです。
葬送の行列の描写
(葬送行進曲の主題旋律)で始まり、在りし日のいい思い出(長調の明るい部分)が頭をよぎる・・・しかし、それも現実の葬送に引き戻されこの映像が始まる部分、いったんは平静を装ったものの、突如失ったものへの悲しみがこみ上げ、その悲嘆は頂点に達する映像の部分はここまでです、それが止むと、また突如、今度は人の死に際して何もできなかった自分や死をもたらした運命への怒りがこみ上げるが、それも長くは続かず、いろいろな感情が織り混ざったまま葬送の行列は続いていく・・・
(この楽章の全体は、音楽データ
(MP3形式:3.6MB)で聴いてください。)

さて、真実はどうなんでしょうか?
 

 

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<文> 岩田 倫和 (チェロ)

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