日蘭交流400周年記念
アマチュア音楽家ジョイントコンサート
出演者の回顧録
〜 演奏を振り返って 〜


<演奏会の経緯>

以下に本演奏会の構想から終了までの経緯を掲載します。
ちょっと長いのでご注意下さい。)


る5月28日、日蘭交流400周年記念行事の一環として、池田市アゼリアホールにて、オランダのアマチュアオーケストラ、ムジカとカーペ・ディエムを迎え、池田・豊中市内の合唱団と共に「アマチュア音楽家ジョイントコンサート」が行われました。
日本のアマチュアオーケストラの海外公演や海外オーケストラとの共演も、昨今ではあまり珍しいものではなくなりましたが、当団にとっては全くの初体験。実現に至るまでの1年余りにわたる紆余曲折やドタバタ劇を、ここに綴ってみました。

オランダ人が来るんやて!?
「私の在籍しているムジカで、日蘭交流400周年の来年、日本行きの話が持ち上がっています。この活動は日蘭交流400周年事業の一環としての企画となる予定です。スケジュールは5月下旬の10日ほど。その間に関東(新座交響楽団・埼玉県)と関西のアマチュアオーケストラとの合同演奏会、それが無理なら親睦練習会が出来ればと考えています。貴団での検討をお願い致します。」
 オランダ在住の吉田さんより、シンガポールのアマチュアオーケストラで知り合った渡辺氏(フルート)のもとにこんなFAXが舞い込んだのは、昨年5月の初めでした。早速、当団役員会に議題提出したところ、大方の反応は「海外アマチュアオーケストラとの交流?おもろそうやん。前向きに対応しましょ。」

まあ、親睦だから・・
 しかし2000年5月といえば、既に決定していた演奏会(2月19日と今回)の間に挟まる形になる為、様々な制約がありました。曲の練習期間も十分でなく、集客も期待出来ず、そしてなんと言っても通常規模の演奏会を開催するだけの資金がありません。出費を精一杯切りつめて、オランダ側と資金を折半することで、辛うじて開催出来そうです。
 かくして、取りあえず小規模な会場で、つつましく日蘭合同演奏会の場を持つ事に決定したのですが、それがとんだ思い違いであった事を知るのは後の話。
 まあこの段階では、それまでに3回も演奏会が控えているので、誰も深く考えていなかったのは事実なんですが・・。

どっかええホールないかなぁ
 早速推進委員会が結成され、ホールの選定が始まりました。しかし最初考えていた小規模なホールでは、本当に狭すぎて(合同演奏を行った場合、総勢130人のオーケストラになる予定)無理なことが判明します。時すでに本番1年前を切って、どこのホールも予約が入り始めていますので、大阪近郊のホールを片っ端から電話して、あたりをつける事になりました。あまり大きくなくて、大阪市から近くて、安くて・・
 そんな中でした。たまたま推進委員選定の時、柏岡運営委員長(トロンボーン)の正面に座っていたという理由で、委員に任命された片山氏(チェロ)が池田中学校校長、渡辺先生に相談したのは。

救世主現わる
 渡辺先生は懇意にされている、池田市アゼリアホールの山崎館長に話を持ちかけて下さったところ、この企画の趣旨に興味を持って下さった様で、当団に資料の請求が来ました。早速急ごしらえの公演詳細文書を提出して、待つことしばし。
 すると、なんとアゼリアホール側から、池田市民参加を条件として、5月27・28日の2日間、無料でホール貸し出しを申し出てくれたのです。経費削減に頭を悩ませていた当団には、願ってもない話!
 時1999年10月末。かくして、小ホールでつつましく交流の場を持つつもりだったのが、一転、自治体を巻き込んでの一大イベントへと、変貌が始まります。
 
江戸に負けるな!!
 その後の各方面との話し合いで、池田市民の参加は合唱(オーケストラ伴奏)、オランダとの合同演奏はチャイコフスキー交響曲第五番、オランダ側の負担軽減のため関東と関西は同じ曲で・・演奏会の形が少しずつ見えてきます。
 そんな中、新座交響楽団は定期演奏会として盛大に企画している、との情報が飛び込んできました。こちらは合唱団の人数も少ないし(40人)経費削減のためパンフレットも貧弱・・これを聞きつけた山崎館長が一喝。
「江戸に負けるな!!」
 かくして、合唱団は複数の団体に声をかけて135人に。パンフレットやポスターはホールのご厚意で立派な物を制作する事なりました。
 何か、定期演奏会より盛大なコンサートになりそうです。

もしかして僕たちってホスト?
 10月には吉田さんが日本出張を利用して来阪され、私達の意識を一変させる重大な宿題を、置いて行かれました。
 「オランダの人達は、渡航費、滞在費等を一切自費で来日します。それだけでもかなりの出費なので、彼らの演奏会費用負担を、もっと少なく出来ないでしょうか?また滞在費用軽減のために、ホームステイも検討してみて下さい。」
 言われてみればごもっとも。
 かくして自分達の財布だけを気にしていた、当初の予定は変更を余儀なくされました。改めて出費を見直し(ホール使用料がいらなくなったのは助かりました!)スポンサーを捜すなどして、オランダ側と当団との負担割合を1:2に決め直したのですが、その話し合いの中で、少しずつ事の重大さが見えてきます。どうも彼等の来日は、私達のサポートが必要みたい・・さらに追い打ちをかけるように、帰国後の吉田氏よりメールが届きます。「大阪のホテル、安いの手配してもらえませんか?」
ここに至ってようやく、私達は自分の置かれている立場に気付きました。
「もしかして僕たちってホスト?」

あかんっ、なんもしてへん!
 そんなこんなで、ジョイントコンサート当日まであと2週間。当団として精一杯の準備は、着々と進められていきました。
 そして2000年5月19日、ムジカ、カーペ・ディエムの総勢47名が成田空港に到着。5月21日は新座の本番です。森氏(トランペット)夫妻はそれに合わせて、友情出演を兼ねて視察に向かいました。
 しかしそこで彼等が目にしたものは、新座交響楽団全員での暖かい歓迎ぶり!そしてコーヒー、手作りクッキー等のおもてなし、心のこもった贈り物。打ち上げでは、お琴演奏やカラテ演舞のアトラクションまで・・
「おもてなしの準備が大阪には出来ていない!!」
未だホストとして、必要な事が分かっていなかった私達。早速緊急会議が招集され、大阪でのおもてなしについて、検討が始まりました。

今から出来るおもてなしって何でしょう? 
 オランダ人来阪までもう1週間もありません。森氏から連絡を受けた各団体は、大慌てで準備に走ります。お土産の手配、お出迎えパーティーの設定、夜に飲みに行く店探し・・当団のみんなはというと、各パートで打ち上げの時、合同で室内楽をしようという事で、何か曲を用意する様に、との指令が回されました。コーロ・ピアチェーレ(合唱団)は、打ち上げでオランダの歌を歌いたいと、申し出て下さったのはいいのですが「ところでオランダの曲、何か知ってますか?」
 そしてアゼリアホールも、山崎館長の号令で、彼等に振る舞うお菓子やジュースの準備をして頂く事になりました。そう、江戸に負けないように。

オランダ人さん、いらっしゃ〜い
 5月26日、オランダ人御一行様が京都観光を終えて、大阪に到着しました。ここで大阪の演奏会のパンフレットが配られたのですが、その立派さに一同「グレート!」と大喜び。まずはさい先の良いスタートです。
 翌27はアゼリアホールで全体の初顔合わせとリハーサルです。オランダ人は皆英語が話せますが、日本人は千差万別。見事な英語でいきなり親交を深める者、片言でなんとかコミュニケーションを図ろうとチャレンジする者、英語で話しかけられても引きつった笑顔を返すしか術の無い者・・彼等って好奇心の塊で、目を合わせると何かと質問して来るんですから。
 リハーサルは最初こそぎこちなかったものの、さすがはスルジッチ先生、その豊かな音楽性で、たった2日でスマートな音楽に仕上げてくれました。これにはオランダ人も感心する事しきり。たちまち彼は人気者です。

さあ、本番!
 いよいよ演奏会本番です。合唱団関係者の口コミや、池田市とアゼリアホール各位の熱心なPRが功を奏して、アゼリアホールは超満員!倉田池田市長の挨拶で(こんなすごいイベントになるなんて・・改めてびっくり!)演奏会は幕を開けました。
 ヨーロッパの香り溢れるムジカ、カーペ・ディエムの「アイスランド組曲」、ひたむきな歌声を聞かせてくれた「ふるさとの四季」「美しく青きドナウ」、舞台と客席が一つになった「荒城の月」の大合唱、迫力満点の「チャイコフスキー交響曲第五番」。
 日蘭のオーケストラが、お互いの音楽性を認め合っての、楽しい演奏でした。
 そして演奏が終わって、満場のお客様から拍手を浴びながら、彼等と握手を交わした時の嬉しそうな顔・・やったね!!

江戸に勝った!?
 演奏会終了後の打ち上げレセプションは、華やかなものになりました。それに向けての準備も何とか間に合いました。皆すっかり打ち解けて、楽しそうに談笑しています。
 そして打ち上げ最後を飾る当団の出し物こそ、大阪らしい心のこもった贈り物・・そう「お笑い」です。ヴァイオリンが奏でる行司の呼び出しに乗って、舞台(土俵)の両側から登場した2人の力士に場内は大爆笑。まずは日本人同士の取り組みの後、なんとムジカのリハールトさんがいきなり呼び出され、土俵に引きずり上げられると、オランダ人は大喜びです。カツラを被らされ、トイレットペーパーで廻しを締めれば準備完了。どうやって戦えば良いのか分からないまま始まった取り組みは、結局リハールトさんの押し倒しで勝負が決まりました。
 このアトラクションは日蘭双方に大受けで、考案者の清水氏(ヴァイオリン)曰く「俺ら、お笑いでは絶対新座に勝ったで!」

未来に向かって
 そしていよいよ、お別れの時が来ました。全員が手を繋いで各々の言語で歌った「蛍の光」。そして彼等の満足そうな表情を見た時、私達は今回の交流が成功であった事を確信したのです。
 最後に日本人全員で、ホテルに向かうオランダ人を見送りに出たのですが、そこでも別れ難くなかなか送迎バスが発車出来ません。涙ぐんでいる女性の姿も・・
 翌5月29日朝、彼等は11日間の日程を終え、関西空港より帰路につきました。

 月並みな表現ですが、本当に「音楽は世界共通の言語」ですね。双方1年以上の準備を重ねて実現したこのイベントは、トラブルもありましたが、当初もくろんだ以上に理解と親密な感情を、日蘭双方に生み出す事に成功したと思います。
 そしてこの良好な感情を、これからも育ててゆく事が大切・・そうなんです。今度は3年後に、新座交響楽団と関西シティフィルハーモニー交響楽団合同で、オランダを訪ねる話が持ち上がっています。
 ムジカとカーペ・ディエムの皆さん、また一緒に演奏出来る日を楽しみにしてますね!!