日蘭交流400周年記念
アマチュア音楽家ジョイントコンサート
出演者の回顧録
〜 演奏を振り返って 〜


演奏後の打ち上げパーティーの様子です。 誰かのコメントにみんなが笑っているところですね。
<演奏後の打ち上げパーティーでの写真>

<関西シティフィルハーモニー交響楽団員の感想>

以下に当団団員(10人)の感想文を掲載します。
非常に長いのでご注意下さい。)


英語が話せないので、お話は出来なかったですが、音楽を通してあたたかい交流ができたのがとてもよい経験になりました。
打ち上げでFgパートでアンサンブルをしたのですが、ぶっつけ本番で決してよいできではありませんでしたが、皆で楽しいひとときをすごせました。

(ファゴット奏者)


ビューティフル・モンスターズ
我が家で2泊していったホームステイのお2人は(65才・49才の女性)、とにかくタフな人達でした。初日の夕食後から3時間ぐらい私の娘をまじえて弦楽四重奏、MozartやHaydnをかなりマジメにやりました。2日目の午前中もクワルテットやソプラノ入りの曲を楽しみました。ふだんのメンバーでやってる時とまったく同じ気分で違和感全然ナシ。
アゼリアホールでのあのハードな土曜日の練習から帰ったら、今度はビラ・ロボス「ブラジル風バッハNo.5」の猛練習。いったい彼女たち(特にVcのアンジー)は、いつも何喰ってるんだろうと思うほど、元気印でした。
大阪へ来て珍しかったらしいのは、ビワ(果物)とウォシュレット。ビワはオランダで栽培するといって大きな種をバッグに入れて帰られました。ウォシュレットはウォッシュとドライがオートマチック!と感動してるようでしたが、いろんなスイッチの使い方を説明する娘に「最初はレインコートがいるわね」と笑わせてくれました。
とにかくすてきで元気なお2人でした。その昔ヘーシンクに日本の柔道が敗れた日の事を思い出しました。

(ヴィオラ奏者)


当日の朝、オランダ人の楽屋にスケジュール表をはりに行った時、早い時間だったのに既に何人か音だしをしていて、驚いたと同時に「何て言うたらええんやろ」と立ちすくんでしまった。
そして、何とか「トゥ、トゥデイズ、ス、スケジュール」と言って切り抜けられたものの、「英語しゃべれたらもっとしっかり話せられたのにな」と、団内の幾人かの英語ペラペラの方を思い出してうらやましくなった。

(匿名)


私の日蘭交流演奏会での思い出は、たくさんありますが、なんといってもホームステイとして受け入れたファゴット奏者のマーイェトさんの楽器が壊れていて、その対応にあたったこと。そして、演奏会当日朝のホルン奏者のヘモさんと、マーイェトさん、さらにチェロのF君との決死のドライブでした。大変ではありましたが、予期せぬ出来事の連続が結果的には予想以上に国際交流ができたことは、私にとって貴重な経験でした。

1.マーイェトさんの楽器が壊れたこと

私がファゴット奏者のマーイェトさんをホームステイとして受け入れました。その彼女の楽器が壊れていたのです。演奏会の2日前のことです。
マーイェトさんと当団のAさんと協議した結果、翌日練習前に修理することになり、同じファゴットで団員のBさん、Cさん、および修理店のDさんの協力を得て無事修理を終えることができました。

また、昼食会に出席予定にもかかわらず、昼食を取られずにマーイェトさんの楽器を引き取りに行っていただいた、トランペットのEさん、ファゴットのBさんには大変感謝いたします。マーイェトも感謝しておりました。まさに、団をあげての協力で困難を克服できたことは、私にとっても、マーイェトにとっても、さらに楽器修理に協力してくださった方々にとっても印象深い国際交流であったと思っています。

2.演奏会当日朝の決死のドライブ

楽器の修理の翌日は、演奏会当日。私の近所に住むチェロのF君と合流することになり、彼のところにステイしているヘモさんも私の車に乗せて、ホテルまでいくことになりました。私は車を運転するのは3年ぶり、さらに車はスターレットと小さく、オランダ人は背も大きく、荷物も多い。なんとか、詰め込んで車を発進させたものの、なかなかブレーキがきかず、大変な運転でした。しかし、オランダ人さんは文句も何一つ言われず、感謝していただきました。1時間半程度のドライブでしたが、これも大変印象深いものでした。

(ヴァイオリン奏者)


本番2日前にムジカの方々と大阪城観光をしました。当時1歳11ヶ月だった息子をつれていきました。2人でオランダ出身のディック・ブルーナーの「ミッフィーちゃん」の絵がかいたTシャツをきていったら、それが大ウケ。
「ミッフィー」はオランダでは「ノインツェ」というそうです。「小さい子」というような意味で、日本でもたしかはじめは「うさこちゃん」という名前で紹介されていたように思います。
英国出身のムジカのチェロ奏者が「イギリスにはピーターラビットがいてそっちもかわいい」と言いだして、どっちが好きかと論議していたら、日本出身ムジカのVn奏者吉田氏が「え?ミッフィーって日本のキャラクターじゃないの」と口をはさまれて、たいへんなことになりました。
いわく「ノインツェはオランダの国民的存在である!」(ナショナルラビットと言っていたような…)
音楽の話とか大阪城の話はあまりしなかったなあ。でもたのしかったです。

(ヴァイオリン奏者)

 


外国語アレルギーのある私には、大変つらいイベントでした……。
いろいろ小さなトラブルはあった様ですが、打ち上げ最後の「ほたるの光」はこの日本ツアーが彼らにとって成功であった事を物語っているエピソードとして心に残っています。(それにしても日本人の半分くらいは、ちゃんと歌詞歌えてなかったんじゃないでしょうか?)

(匿名)

 


ヘモ。フルネームはヘムス・ヘモ。珍しい名前のホルン奏者が私の家に泊まりました。とにかくオランダ人という国民(民族?)は背が高い。電車の中でも家の中でもサイズが違う。
うちのふとんは当然日本人サイズなので、足がはみ出てました。でも暑かったので、あまり問題ではないようでした。ただ、日本はちょっと暑すぎたみたい。ヘモは生え際がけっこう上の方までいっちゃってたのですが、京都・大阪ツアーの後、彼は頭の上から足の先(は見てないけど)まで真っ赤でした。
重い重い荷物を空港近くのホテルから我が家まで電車で一時間半以上、ご苦労様でございました。

(チェロ奏者)

 


「ホームステイ受け入れお願いします」と言われて気楽に「いいわよ」と安請け合いしたはいいけれど、まずは家の掃除。常日頃ちゃんとしてないから大変だ。
でも気ばかり焦って、ちょっとも進まずに、ついに“ありのままでいっか!!”ってことに。食事も考えて考えて、これまた、“食べられなくってもいいか。日本食で行けー!”というわけで、ついにその日が。
五時半ごろ、主人がおばさまプレーヤー2人をお連れしました(54才・60才)。私は髪の毛をアップにして和服をきちんと着て、日本流にお迎え。何をしたかというと、きちんと流儀にのっとって、彼女たちにティーセレモニー(茶道)で、お抹茶とお菓子を一服差し上げました。
彼女たちは初めてでちょっとお菓子を食べるのも、正座も、ビターなお茶も大変でしたが大喜び。
その後は、2人に浴衣も着せてあげました。鏡の前でおおはしゃぎ。記念撮影。
20分後、皆着物を脱ぎ、私は髪の毛もいつものようにすると「本当に先ほどのご夫人?」とびっくりされ、ワイワイ日本料理の食事。その後がまた、午前1時まで合奏。彼女たちは本当にタフ。われわれは半日でやっと終わったという感じ。
何とか3日間、楽しくお世話できました。

(ヴァイオリン奏者)

 


リハの後「ここら辺でコンビにはないか?」と聞かれ、パンストを買いに行くとの事だったので、それだったら私が予備を持ってます、と譲ってあげた。
しばらくしてそのオランダ女性が大変ふくよかだったことを思い出し、譲ったパンストが日本のMサイズのものだったので、私の心に不安がよぎった。
「もしかして、うちもんのすごく失礼なことしてるんじゃ…?」
でも、その後そんなに感謝してくれなくても……と思うくらい、感謝の意を述べてくださって、オランダのおみやげまでいただいてしまいました。
オランダの方々は開放的でおおらかな印象をうけました。

(ヴァイオリン奏者)

 


練習中、英語でいろいろ質問されました。
特に合唱の曲では1つ1つの曲の意味を質問され、「荒城の月」の歌詞の意味は全くわからなくてつらかったです…。
同じプルトの人はとてもいい方で、一緒に演奏できてとても楽しかったです。

(弦楽器奏者)